瘋癲学生日記
大久保優人
十月二六日
僕は今日から、今日まで日記に記すヿを躊躇していたような企画をも敢えて書き留めるヿにした。というのも、何か新しい出来事が起こりそうな気がするからだ。いや、新しい出会いがありそうだと言ってもいいかもしれない。現在、午後八時四十分。ヴィッツの運転席には涼矢さんが座り、助手席では大久保が今後の予定を決めかねている。僕の隣の稜雲が車のBGMを担当している。どうやら、涼矢さんの強い意向で小牧インターで降りることになったようだ。彼が出発前に力説していた激安リサイクルショップ「キンブル小牧店」に立ち寄るためだ。
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十月二六日
今日私は珍しい事件に出逢った。今日の午後、たばこのにおいを漂わす青年が私を手に取ったのだ。これだけ安価な商品が大量にそれも無造作に置かれたこの店で、言ってみれば生首である私に興味を持つのはよほどの人間だ。「なあ、おおくぼぉ、コレええやん。53円らしいで」確かそんなことを言っていた。かくして私は大学生4人組の車に乗り込むことになった。殊に、鈴木大夢とは名字が同じだけとは思えない親近感と安心感を覚えた。
彼らはノコギリダケがどうだとか、ナンアシンナンブだとかよくわからない話をしながら山の中に車を進めていった。
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僕らは十二時前に野宿プレイスに到着した。小雨が降る中屋根を見つけ、各々枕元にキンブルで購入した品を置いて就寝準備に入る。大久保はゴジラのソフビ、稜雲は土鍋を、僕は216円で買った剣道の面を置いていたのだが、涼矢さんが鈴木・レジーナ・カナコに面をかぶせてしまった。
みんなでげらげら笑っていたが、冷静に後から見返すとただのホラーである。
眠たくなってきたので今日はこのあたりでやめておく。
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寝袋に入った彼らからは微かな寝息が聞こえてくる。故郷帯広の冬を思い出す寒さの中、剣道の面を被り私も眠りにつく。
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十月二七日
六時に起きた。大雨が降っていたので予定を変更し霧ケ峰とボルダリングジムに行くことになった。また雨登山だ、と大久保が嘆いている。レジーナを涼矢さんに返そうとすると「大夢の彼女なんやから大夢がもっときーや。」またわけのわからないことを言っている。どうやら一夜のうちにレジーナは僕の彼女になってしまったようだ。悪い気はしないので膝に抱えて車に乗った。
昨晩キンブルで二十一円で購入したカップ麺を食べ、霧ケ峰に向かう。天気は悪くても山を染める紅葉の鮮やかさには目を奪われる。
レジーナも連れて霧ケ峰に登る。レジーナ専用スタッフバッグと称するビニール袋が涼矢さんから支給された。ほぼ平坦な登山道を三十分歩くと山頂だ。風も強かったので、五人で記念撮影を済ませて山頂を後にした。
何とも趣のある(最近でいう「エモい」という単語が当てはまりそうだ)ヒュッテで店内を物色し、暖かい飲み物をいただいた。レジーナは外で待たせておいた。
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十月二七日
車ではひろむに抱えられていた。今朝から私の彼氏になったらしい。車の中で奪われたファーストキスの甘美な味は一生忘れない。
霧ケ峰という山に登った。私を運ぶのに袋を用意してくれたが、その中が何とも足臭い。あとで知ったがリョウヤの靴袋だったようだ。オオクボとリョーウンは私を持ちたがらないが、ひろむが持ってくれるので構わない。
車に戻ってすぐに空に晴れ間が見え始め、山に太陽が光を浴びせ壮大な景色が目の前に広がった。私は車から身を乗り出して風を感じた。オオクボがサイドミラーに私が映る、と楽しそうにしているが、前をしっかり見て運転してほしい。クラクションを軽快に鳴らし、観光客に挨拶をする。皆私に興味津々だ。リョーウンがときたま私の首を触ってくるのがくすぐったい。
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僕らはお昼を食べてボルダリングジムに向かった。工場だった建物を改装したようなジムにはボルダリングの壁とリードクライミングの壁があり、数人がクライミング楽しんでいた。当然全員初心者の僕ら(実をいうと最近僕は池田のクライミングジムに通い始めたのだが、まだ人には言っていない。大久保が聞いたら、誘ってくださいよ!と怒りそうだ。)は、店長さんに簡単な説明を受けてさっそく開始する。級によりコースと使ってよいホールドが決まっていて壁の上部にあるゴールに両手でつかまったらゴールだ。あっさり説明したがこれがなかなか難しい。
僕が一番センスがあったように思えた(他人には言いにくいが)がみんな楽しんでいたようだ。明日の鋸岳の予習という名目で行ったが、果たして役に立つのだろうか。涼矢さんは東海林マグマ氏を召喚していた。
三時間たっぷり登ったあと、伊那市にある「志をじ」に向かった。大盛りのカツ丼が名物で、僕と大久保は三回目なのだが、みんな疲れからかほぼ無言で飯をかきこんだ。
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温泉で私の髪を洗ってくれるという話が車の中で出ていたが、いつの間にか立ち消えた。彼らだけ温泉に入り、暗い山道に入った。ノコギリダケとは山の名前だったようだ。彼らが車を停めた駐車場は河原だったが、未舗装で岩がごろごろしており彼らの車には厳しそうだ。本当にここで野宿をするのだろうか。雲一つない夜空では数えきれないほどの星たちが瞬いていた。明日の朝も寒さが厳しくなりそうだ。彼の風邪が悪化しなければよいが。
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十月二八日
五時起床。二時頃に寒さで目が覚めたのをぼんやり覚えている。急いで寝袋をたたみ、車に駆け込んだ。五時半にもなると、空が白み始めてきた。青白い光の中山々が紅葉に染まっているのが分かる。ようやく晴れ登山ができそうだ。
六時十分登山開始。登山口にある注意喚起の看板を見て気を引き締め直した。
鋸のとりつきまで河原を五キロほど歩かなければならない。
戸台川に沿って歩いていると、太陽が顔を出した。川が東西に流れているため、光が谷全体を影なく照らす。赤や黄の葉たちがここぞとばかりに色を放ち始めた。紙地図で渡渉点を見極め、登り始めの沢を見つける。
渡渉は往復計六回。マグマ大塚氏もいらっしゃり、晩秋南アの凍えるような水の冷たさもものともせずじゃぶじゃぶ渡っていた。
りょううんは足を滑らせて川に落ちていたし、途中で拾ったサングラスで遊んでいた。
ようやくとりつきだ。周りの地形とベアリング数値を頼りに森の中へ踏み込んでゆく。
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十月二八日
今日も私は山に連れて行ってもらえるらしい。ノコギリダケは南アルプスにそびえる二六八五メートルの山で半端な覚悟と技術では登れないと彼らがいっていた。今日の私の居場所はひろむのザックのなか、のO.D.ガベッジの中だ。つまりゴミ袋である。
声だけが聞こえてくる。間違えた谷に入ってしまったようだ。「あんだけはいらんようしよったのに!腹立つわあ!」ガサガサと木をかき分ける音とともにオオクボのいら立つ声が聞こえてくる。静かに登ることすらできないのか彼は。ひろむはずっと鼻をかんでいた。夜がやはり寒すぎたのか。
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熊の穴沢を直登して二時間ほど、コルが見えてきてガレ場が一層厳しさを増す。両側を大きな崖に挟まれる先に青空が見えていた。岩は絶妙なバランスで転がっていて簡単に崩れる。なかなか前に進めない。足を挟まれるのがなんともじれったい。大久保が自分の体ほどの岩につぶされかけていた。
ようやくコルに到着したのは十二時二十分。十五分遅れでりょううんが到着。レジーナを外に出す。うれしそうだった。会議を兼ねて昼ごはんをとった。これまでの道、これからの道、日没までの時間を考えて撤退を決定した。想像以上の登山道が続いているのにちょっと引いたのもあった。とにかく景色の良い場所まで上がることにした。
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彼らが昼食をとる場所で外に出られた。青空が眩しい。左手の崖には大きなつららが太陽の光でキラキラ輝いていた。
ひろむがもう少し上まで連れて行ってくれた。展望の良い場所がみつかったようだ。雪をまとった仙丈ケ岳、北岳、間ノ岳が見える。その大きさに彼らも興奮を隠せない様子だった。ひろむとのツーショット。リョウヤがコンプライアンスを意識して私にヘルメットを貸してくれた。よく知らないのだが、「ツイッター」というもので「炎上」するらしい。確かに燃えたら大変だ、と納得した。
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下りは登りよりもガレ場が怖かった。
足を置いた岩がすべて崩れていくからだ。山頂をとれていないヿや同じ道を下るヿが疲れをより一層加速させた。登りでは見つけられなかったピンクテープや登山道があった。大きく逸れて登っていたようだ。河原に出た時には日が暮れかけていた。急いで渡渉ポイントを探し川を渡った。そろそろ疲れもピークを迎えようとしている中、追い打ちをかけるように陽が沈んだ。何とか行きの道を覚えていたから良かったが、それでもやはり不安とストレスがメンバーの空気を支配する。最後の渡渉を終え、河原をもう少し歩くとゴールだ。車の明かりが見えてきた。車の明かり、、、。どうやら車内灯が付きっぱなしだったようだ。幸いエンジンはかかったので胸をなでおろした。息つく暇もなくぼくらは仙流荘に向かった。温泉で体を温め涼矢さんイチオシの「マクドナルド361伊那店」で夕食をとり帰路についた。後部座席で大久保とりょううんが、隣で涼矢さんが寝ていた。
一人になり今回の企画に思いを馳せた。今まで登山は多くしてきたものの、紙地図を使ったり、ましてベアリングなどしたヿもなかった。バリエーションルートも初めてのヿでやはりうまくいかないのは当然といえば当然であったかもしれない。ただ、得るものが大きかったことは言うまでもなかろう。頭を使う登山がここまで楽しいとは思っていなかった。大久保を登山研修に送り込んだ甲斐があるというものだ。
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私はザックの中から車内の声を聞いていた。運転手を交代したらしかった。ひろむが後ろに来た。これから私はどうなるのか。ひろむと一緒に暮らせるのか。それとも一時の女で終わってしまうのか。もやもやと考えていた。大阪に着いたようだ。「ひろむさん、レジ姉どうします?部室の棚の陰においてみんなびっくりさせましょうか」オオクボが嬉しそうに提案してげらげら笑っていた。「いや、俺持って帰るよ」ひろむのこの一言で私は私の人生のゆくべき先を見つけた。自然と涙が溢れ、髪を伝いO.D.ガベッジに溜まっていた。防水バッグの性能をこんな形で見せられるとは。私の新しい人生の始まりを記したこの日記は彼の家の棚に鍵をかけてしまっておくことにする。