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2018年11月29日木曜日

John Muir Trail ヒロム デグチ、マキの記録 ③Muir Trail RanchーMt.Whitney


<前回までのあらすじ>
長い移動を乗り越えてようやくJohn Muir Trail(JMT)を歩き出した僕たち。雹、雷雨、を乗り越えて、少しMammoth Lakesに寄り道もしながらなんとか中間地点のMuir Trail Ranchに到着。ここで日本から送っておいた食料を補給する。ここで一気にザックの荷物は重くなる。さあ後半どのような運命が3人を待っているのか!!!


8/19 Day 8
ちょうど中間地点、Muir Trail Ranchに到達した。ここまでで前半の荷物は相当減っていて、ザックも軽くなっていた。軽いと言っても20kg弱はあっただろうけど。
Muir Trail Ranchへの道のり、実は僕は相当急いでいた。なぜならコーラが飲めると信じていたからだ。すれ違うハイカー達がみな「Muir Trail Ranchは素晴らしいところだよ」と言うもんだからコーラは当然あると思っていた。何日かぶりの文明に触れたい!その煩悩が消えることのない僕はコーラのことしか考えずに2人を置き去りにして駆けていったのだった。ごめんね。

ない。。。
これは相当ショックだった。
あると思って楽しみにしていたコーラが売ってないのだ。
悲しかった。仕方なく飲料水の蛇口をひねって水をがぶ飲みした。
むなしかった。


荷物を送った際にメールで送られてくる半券をお姉さんに見せると僕たちの荷物を渡してくれる。この食糧補給にかかったお金は日本からの送料だけで300ドル。
これは痛かった。高すぎて最初から補給無しで全ての食料を担いでいこうなんて話もしていたが、いくらなんでもやばいというデグチの指摘により送ることになった。この判断は正しかった。食料重すぎ。全部持って行ってたら足が壊れる。


これだけの食料を送った。
計22kg

Muir Trail Ranchでは
他のハイカー達が要らなくなった荷物、
補給するつもりだったけどMuir Trail Ranchにたどり着けなかった人の荷物がこうしてTake Freeとして置かれている。


漁る

この時点で昼食のソイジョイ5本計画を中止し他の食料に置き換えることにした。そしてマキはフルグラスキムミルクに耐えきれず、独自に「オートミール」を食べるという。となったら計算が大変。何日分の食料を持てば良いのか計算するもののMuir Trail Ranchまで歩いてきた疲れとコーラがなかった絶望から頭が回らない。パッキングに無駄に時間がかかってしまった。

なんとかパッキングを終えてこの日のテン場まで出発したのが午後5時。
そして荷物は重過ぎる。
人は余裕がなくなると他人を疑い始めるもので、歩きながら「これは均等に配分されているのだろうか。」ばかり考えてしまった。何で僕はベアキャニスターを2個も持っているのだろうか。百歩譲ってそれは良いとしてなぜ一番団体装備を持っていないマキの100Lザックはパンパンなのだろうか。100Lザックぱんぱんになるって何?ねえなんで?おかしいでしょ。僕の荷物もってよ。(僕のザックは24kg、マキのは37kg)

いやまてよ、でもほとんど個人装備しか持ってないじゃん、マキ。なんで団体装備少ないのにそんな持ってんだ。団体装備少ないが個人装備が多くて荷物が多い彼に団体装備を分け与えるのはどうなのだろうか。かわいそうではなかろうか。でも個人装備で勝手にあんなに重くしているのだから持たせても良いのでは?心の中の議論は止まない。
結局考えるのがめんどくさくなってマキに僕のフルグラを2,3袋持ってもらった。僕の荷物が重いのが嫌だったから。笑。


しかしこの時点で僕は全く別の重要なことを忘れていたのだった…


もう一つ書き忘れてはいけないことは日本通運のHawardさんだ。分厚い皮下脂肪に覆われて黒いサングラスをかけている。この日隣でキャンプをしていて、話しかけると"Chinese ? Japanese?"と聞かれ Japan!と答えるとスパイかと思うほどに流暢な日本語が飛び出してきた。昔日本で仕事をしていたらしい。後々にお世話になった。

8/20 Day 9

"それ"はいつかのタイミングで思い出した。

「終了報告してない!!!」

大阪にいる仲間に無事を連絡することをすっかり忘れていたのである。
計画ではMuir Trail Ranchで報告する予定だった。
アメリカに行く前は電波なんてどこにでもあんだろって思っていたが、実際山の中ではまたく電波は無い。Passの時に高所まで行っても、4000mまで行ってもない。だから唯一インターネット回線があるMuir Trail Ranchで日本に報告しなければならなかったのだ。それを忘れていた。やべぇ。。。。やっちまった。。。。
このままではレスキュータイムが発動されてしまう。
でも来た道を戻るなんて選択肢は考えられなかった。もうMuir Trail Ranchからはかなり歩いてきてしまった。そして今日のテン場の近くにはレンジャーステーション(森林管理局員)のログハウスがあるらしい。そこでレンジャーに電波を借りよう。レンジャーなら持っているだろう。

そう思ってレンジャーステーションに行ったものの、立派なログハウスの玄関には、「~~に行っていて帰ってきません。ご用の方はMuir Trail Ranchへ」と汚い字で書いてあった。おい~レンジャー頼むよ~。

やむなく回りのハイカー達から衛星電話(高価なものだがハイカーは白人ホワイトカラーが多くお金持ちが多い)を借りようと何組か話しかけていると、
大学で心理学の教授をやっていたというおじいさんとソフトウエア開発のエンジニアだったというおじいさん、そしてその連れの家族がキャンプをしていて、彼らが貸してくれた。
"No Trouble, No Problem,  Sorry, Hiromu"
と打って川本の電話に送った。
これで一安心。日本にいるみんなもショートメールで在阪連絡が来てびっくりしているだろうが伝わるだろう。そう思っていた。


夕飯はご飯と親子丼フリーズドライ、ビーフシチューフリーズドライ、ボルシチフリーズドライ、クリームシチューフリーズドライが混ざったもの。意外とおいしい。



Evolution Creekの遡行、崖沿いを登っていく

ここは平坦



8/21 Day10
8:00起き 10:00出発
この頃から8:00起きになる。朝が寒いから、フルグラスキムミルクが食べたくないから。(デグチはそんなに苦じゃないみたいだけど)
いや本当に寒い。フライシートが凍るくらい寒い。
長い日数を歩き続けるためには毎日のストレスを減らすことが大事だ。
いかに頑張らないか。いかに体の声に従うか。
8:00起き10:00時出発という驚異的な遅起きが僕らのJMT踏破の秘訣といえるだろう。


渡渉:サンダルで渡る、冷たい、これもストレス

そして出発して1時間が経った頃、事件が起こった。
マキが脚が痛いと言い始めたのだ。
今までは足裏だったのだが、太ももだがふくらはぎだかが痛いと言い始めた。
これはやばいと思った。肉離れとかになったらとてもじゃないけど踏破はできない。
「マキ、持ってる食料全部出して」
そして朝昼夜3食の必要食料を除いて彼の持っていた個人食料を捨てさせた。マキの重量が重すぎるのだと考えた。





荷物を減らして歩いて行く。
Evolution Lakeの手前、休憩していると日本人らしきおじさんが歩いてきた。
いやでもアジア系のアメリカ人かもしれないと思い英語で話しかけた。
"Hi, Where are you from?"
"Humm....It depends...日本人だな?"

Yuichi Itodaさん。50代後半ぐらいだろうか。アメリカに移住してからはソフトウェア開発をしていて、現在はPCT(Pacific Crest Trail、メキシコ国境からカナダ国境まで4000km以上に及ぶロングトレイル。JMTのほとんどがPCTと同じコースであり、JMTはPCTの景色のハイライト部分と言われる)を歩いているという。30分程度話してしまった。最近日本人を見かけないらしく、なんだか嬉しい、頑張ってくれとこちらが元気づけられてしまった。


空がすごい 

Evolution Lake

この日は早めにテン場に着いた。3500m以上の高地。Muir Passの手前。
テントの前にはきれいな湖が広がっている。
きれい過ぎて泳いでみるが寒すぎて一瞬でやめる。
体をこうして洗えるのが嬉しい。洗濯もできる。

そしてデグチが持っててくれたマンゴー(壊血病防止、良く分からんけど。たぶんフルーツ食べたくなるだろうと思って1.8kg持って行った。)が残り日数に照らして余ってるようなのでマンゴーパーティをして減らした。
夕飯はたらこパスタ。


Wanda Lake


マンパ

8/22 Day11

8:00起き 10:00出発
寒い。高所だからか冷える。頑張って起きる。
眠い。高山病の影響か寝付きが悪かった。
ぼーっとしているとHeather達が僕たちを追い抜いてMuir Passへと向かっていった。
Heatherというのは僕たちと行程が重なった集団の女性ガイドでJMTを4回も歩いている。そしてめちゃめちゃ体力があり、ザックにはウイスキーが刺さっている。そんなワイルドでアメリカンな女性だ。

なにはともあれこの日僕は朝から快便で機嫌が良かった。

機嫌が良いから写真が多い。

Muir Passへ向かうデグチ

ラスト100m!

もうちょい!

Passにあるハット(緊急避難小屋)が頂上の印

ペットボトルほどに細いデグチの脚

きれいなマダムに撮ってもらった、機嫌良い


乾燥している





モンスターロック、割れ目が口に見える

真ん中の白い人がHeather

しか

8/23 Day12
7:30起き 10:00出発
この日は標高がそれほど高くないので冷え込みはそんなにひどくなかった。
昨晩21:00ごろ、カウボーイが馬を連れてが荷物を運びに来たらしく、足音がうるさかった。JMTはもともと馬が通れるように道が整備されており、日本の登山のようなむちゃくちゃな急登はない。ここ馬むりだろ笑、というようなとこもたまにあるが、至る所に馬の糞が落ちているのを見ると、馬も頑張ってPassを超えてくるのだろう。

出発準備をしていると、Heatherが朝ピーチパイをくれた。馬にカウボーイに持ってきてもらったらしい。食料が余っているから、と他の食料も分けてくれた。
トルティーヤチップス、クリームチーズ、Fuck‘in Bacon(大豆から作ったベーコン、とてもじゃないけどベーコンとは言えないしおいしくない。)、Touhu!(高野豆腐)等々。
これはすさまじく助かった。若い世代のハイカーがほとんどいないので、そして僕たちが初めてのロングトレイルを歩いているということを知っていたので、優しくしてくれたのかもしれない。ありがとうHeather。

HawardさんもここでJMTを外れて街に降りるというのでのり天チップスやおかき、ガス缶とかをくれた。

隣のテントのおじさん(New Zealand出身)もフリーズドライ食品をくれた。

かくして僕らは食料に困らない生活を送ることになる。


この谷筋を登ってきた

この日僕らは新しい作戦を導入した。
「アラインゲンガー作戦」である。
アラインゲンガーというのはドイツ語で alone person 的な意味で
要するに3人でまとまって歩くのではなく各自自分のペースで別々に歩く、というものである。ずっと3人で歩くとストレスが溜まってしまうのである。

この日、Le Conte Ranger Stationから Palisade Lakes へと向かう行程で、途中に Golden Staircaseという急登があった。たったの500mアップなのだが、これが荷物を背負っているととてつもなくしんどい。登っても登っても壁が目の前に現れる。登りにきりがない。この上に湖がほんとにあるのかと疑いたくなるほどの急登だった。僕はこの急登に直面して、なにか燃えたぎる闘志のようなものを感じてしまった。この急登に負けてたまるか。ここで僕はなにかスイッチのようなものが入ってしまい、すごい勢いでGolden Staircaseを登ってしまった。
実は僕が「エマージェンシー」を発動していてデグチのスコップに追いつきたかったということもあるのだが。

苦しかったひと

Palisade Lakes

この日は早めにテン場につき、洗濯をし、ご飯を食べ、そしてトルティーヤチップスクリームチーズディップ大会を開催した。この味は忘れられない。クリームチーズの濃厚な味わいとトルティーヤの香ばしさが絶妙にマッチして悶えた。

トルティーヤが思ったよりも多くてお腹いっぱいになった。ご飯がおいしいと話も弾む。この日はめちゃめちゃ疲れていたが夕食は楽しかった。

ヒロム:快便
デグチ:血便
マキ:足裏の痛み


8/24 Day13

8:15起床 10:00出発

起き抜けに登りは苦しい。
前日のGolden Staircaseで飛ばして登ったせいで筋肉痛がしている。
そして標高が高い。
Mather Passは大きかった。


苦しいけど絶景

パスを乗り越えたら12kmぐらい下る


下りは脚が痛む

ザックもぼろぼろになっていく

この日Mather Passを登った後、ずっと下ってからまた200mアップがあった。これがしんどかった。Bench Lake Ranger Station付近泊。

ヒロム:快便×2
デグチ:下山時におしりの筋の痛み
マキ:足裏の痛み

夕飯はカレー。
今日は下山中に集中が切れそうになった。寝てるときに日本に帰る夢をよく見るようになる。日本に帰ってしまってから「ああ帰ってきてしまった!JMT踏破したかったのに!」という夢。

8/25 Day14

8:00起床 9:45出発
今日はPinchot Passを超える。
この日以降1日1Passになる。
朝登って、午後下って、という感じ。


Pinchot Pass
高所にも湖があるけど魚はいないみたい
この日は淡々と行程をこなした。
最終日付近が行程がキツいのを計算してこの日から少しずつ巻き始める。
Daller Lakeのほとりでキャンプをする。
日本の味が恋しくなる。味噌汁、ナメコの味噌汁が飲みたい。
レアステーキも食べたい。
この日は21kmも歩いた。
夕飯はエビ塩パスタ。
このテン場は水場が遠い。

ヒロム:快便
デグチ:下りでおしりの筋肉が痛む
マキ:疲労蓄積

8/26 Day15

8:00起床 10:00出発
今日はGlen Passを超える。
朝起きてから430アップ。これが苦しかった。

Glen Passでトムとキャサリンと友達になった。2人ともイングランド出身、キャサリンは医者をやっているらしい。2人とも仲が良い。トムとキャサリンは爆走カップルで、1日35kmとかを歩く。荷物が軽いし体力がある。トムとキャサリンとはいろんな所で会う。

でも景色はきれい

トムとキャサリンと


看板もかっこいい
今日も1日楽しく歩けた。
夕飯はたらこパスタ。
19:30には寝ることができた。

8/27 Day16

今日はForester Pass を超える。
Forester Pass は苦しいPassとして悪名高い。
まず何よりPass本番へのアプローチが長い。8kmぐらいかけて標高を上げていく。
そして直前の急登がひどい。ほぼ垂直の壁をスイッチバック(つづら折り)で登っていく。他のパスの中でもぬきんでて高く、ちょうど標高4000mだ。



テン場から800アップ

デグチャンは寝てる

くるしかった

反対側

Passから降りるときは日本食の話をした。サンマ、ブリカマ、フグ、アンコウ、スシロー、かっぱ寿司食べ放題。。。(当時は気づかなかったけど魚ばっかりかいてある)

パスタゆでる

わらってる

パスタは一瞬でたべちゃう

チーズバーガー、親子丼、奄美大島で食べた鶏飯も食べたい。って書いてある。日記に。
デグチの脚が痛んでいく。


8/28 Day17

今日はPassは無く、JMTゴール地点のMt.Whitneyの麓まで歩く。
ついにガイドマップも最終ページに入る。嬉しいようなさみしいような。


あさのデグチャン

あさのマキチャン

朝食のデグチャン

今日は砂漠っぽい所を歩く

Dry










ネギ塩パスタ

アメリカンなお菓子

ハイカーに餌付けされてぶくぶくに太ったマーモット

デグチがパスタをすすると寄ってくる

夕日

エバンナンチャラロード
早めにテン場に着き、食料も余っているのでパスタ400gを食べる。
濃いリンゴジュースが飲みたい。文明のハンバーガーも食べたい。

本当の予定ならMt.Whitney登頂後、麓まで降りるのに2日間の行程を要するのだが、
早く分明に触れたいという思いから朝3:00に出発し、朝日をMt.Whitneyで見て、その日のうちに麓に降りるという強行日程にした。


8/29 Day18

1:30起床 3:00出発
朝からネギ塩パスタ200gを食べる。
ゆで汁を捨てなくていいように水の量を調整する。
ここまで長期になるとちょうど良い水の量が分かるようになる。
途中、ガスが無くらないように、余分な水を使わないように極限まで水を減らしてパスタをゆでていた経験がここに生きる。

外は極寒
3:00、デグチのうんちの調子が悪い。途中で「エマージェンシー」を取りながらゆっくりと、汗をかかないように出発する。
登り始めたとき、見上げた斜面に先行者のヘッドランプが小さく光っていた。
「高いな…」
張り詰めた冷たい空気を感じながら一歩をかみしめるように歩く。
気温は体感-2℃くらい。
いつもは明るい外国人ハイカーと楽しく挨拶しながら登るのだが、今日この時間に限っては凜とした、静かな空気の中で登りたい。そんな気持ちだった。
頂上までは約500mアップ。なんてこと無いように思うかもしれないが、ヘッドランプを頼りに巨大なスイッチバックを切って切り立った壁を登るのは勇気が要る。
全体像はつかめない。自分がこの巨大な壁のどこにいるのかも分からない。
ただひたすら、登っても登っても上に続く巨大な壁はなくならない。
西側斜面を登っているので日の出直前まで真っ暗だ。
前日までの高度順応のおかげか、高山病にはならない。
デグチは脚の状態が悪いのもあって少しキツそうだ。
うるさいムキムキマッチョ集団5人組がわさわさと汗をかきながら僕らに追いついてきた。
道を譲る。彼らはすぐに遠のいて、頭上のスイッチバックを動くヘッドライトだけが見えるようになる。また僕らだけになる。そんなことを繰りかえす。
途中でサングラスを拾う。かけてみる。そのまま進む。
少し眠い。
足だけはちゃんと斜面を登っていく。
ゆっくり登っても背中にじんわりとした汗をかくのを感じる。
ぼんやり歩いていると、いつの間にかTrail Crast着いた。
Trail Crestとは、麓に降りる道とMt.Whitney山頂に向かう道の分岐地点のことだ。
荷物と拾ったサングラスをそこにデポって軽装でMt.Whitney山頂へと向かう。
その前にマキと僕は登ってきた500mの崖から立ちションをする。
デグチはぶりぶりとうんちをする。
ここで説明しておくが、山頂というととんがっているイメージを抱くだろうがそうではない。白馬三山の杓子岳のような感じが何キロも続いていて、その一番高いと思われるところが山頂になっている。Trail Crestからは45分ほどの距離だ。
Trail Crestを出る頃には東の空が明るくなり始めていた。反射的に走り出してしまう。マキに走ると崖から落ちそうだと注意される。あぶなかった。
それでも結構なスピードで歩いていく。登りはじめは汗をかくことを怖がっていたのに、もうそんなこと考えられなかった。日が登り始めている!山頂はもうすぐ!それだけが体を動かした。日はもう出てしまっている。日の出には間に合わなかった。
でも一刻も早く山頂に着きたい。17泊18日の初めてのロングトレイル、歩いても歩いても終わらなかった、早く日本に帰りたかった、そのゴールが目前に迫っている。
最後の最後まで水平な斜面に焦らされながら、ついに山頂の小屋が見え、山頂らしき所に人が集まっているのが見え、そして山頂へと辿り着いた。

7:30 Mt.Whitney山頂=ゴール


ギリ間に合わなかった。

山頂は暴風極寒

山頂小屋

JMT、僕の中ではとても良い経験になった。途中で川本に送った衛星電話のSMSが届いてなくて在阪連絡の部員には多大な(ほんとごめん)心配をかけてしまったし、3人がもっと楽しく歩けるように事前準備や計画ができたと思うし(特に食料)、反省点はたくさんあるが結果としては踏破することができた。自分の探検についていろいろ考えたし、こんなに長い間男3人で一つテントの下で生活することも今後無いだろう。(もしかしたらあるかもしれないけど)JMTは自分の中で一つ大きな自信になった。純粋に嬉しい。でぐち、まき、ありがとう!!!おつかれさま!!!










とまあ、大夢さんがいい感じに〆て、ブログが終わったに見せかけてからの
真生です。なんかすいません。
書かねばならんのです。

8月20日
ミューア・トレイル・ランチで補給したおかげで朝飯が豪勢だ。
オートミールにパン、ビーフジャーキー、チーズマカロニを次々に食べ、エネルギー摂取をする。
サンダルに兵装転換して広めの川を渡渉して昼飯にする。
シカの親子が近くを通って行った。
なんか飯の話ばっかしてんな。
木の裏にいるシカに話しかける出口。


しばらく歩き、すごい景色のいい湿地帯に出る。

絶景と我らが部長。

そこにテントを張り、釣りをする。
めちゃくちゃ釣れた。投げたら釣れる。
よー見てから食いつけ!って叱りつけたくなるぐらい。笑

その魚をレンジャー不在のレンジャーステーションに持って行き、レンジャーステーションの薪を使って焼く。他人の薪で焼く魚は美味い。

他人の薪を惜しみも無く大量に使うやつ。


8月21日
この日も豪華な朝飯を食べ、出発。
途中、足の痛みを申告すると、大夢さんに積んでいた食料を捨てるよう要求される。


これ書いてええんかな?どうなんやろ?
まあ、書いとくか。

その時の気持ちが日記に書いてあるので、そのまま書きます。
「道中、荷物の廃棄を求められ、渋々捨てる。ピーナッツバターや調味料、行動食を大幅に粛清された。たしかに捨てなスピードでやん。でも、このままではカロリー足らん。もうちょっと捨てる量減らすとかあったやろ、大夢さん。ほんで捨てる分からこそこそ横取りしとー出口も気に入らん。ああ、不安と苛立ちしか残らへん。最悪や。

正直、この時がJMTで三人の雰囲気が最も悪かった時やと思います。
今ではこの食糧放棄の決断に感謝してます。
出口と大夢さん、雰囲気粉砕してすんませんでした。笑

そして、夕方、糸田さんという日本人のハイカーに会う。
日本人が探検魂を無くしつつある中で、僕らみたいな探検する人に出会えたのを喜んでくれていた。
でも、この糸田さん、3か月もトレイルにいるのだ。
いやいや、糸田さんの方が5億倍すごいっす。

渡村がタイツ履くん珍しいゾー。今のうちに見とけよー。


ワンダレイクという所でテントを張る。
大夢さんと出口が湖に飛び込み始めたので、後に続く。
飛び込んだものの、水温低すぎて2秒で上がる。
見たらわかる寒いやつ。


8月22日
マザーパスという峠を越える。
頂上には小屋があり、記念碑があった。

ここで我々のJMTにおける重要人物の一人紹介する。
ヘザーというツアーガイドさんだ。
重い荷物を背負いながらも、笑顔が絶えず、十人ほどのツアー集団をまとめるすごい人だ。美人だ。

この人にミント菓子をもらう。おいしい。
この後、残雪で雪合戦したり、モンスターロックという岩で記念撮影をして下っていく。
夜はニュージーランドから来たハイカーと晩飯を食べて寝る。



8月23日
朝飯を終えたタイミングでヘザーがピーチパイをくれた。
サイズが規格外で味も濃いが、すっごい美味い。
僕はヘザーの持っていたウィスキーに目が釘付けだった。
一口欲しかった。

昼に絶壁のような斜面の登りに差し掛かる。
一人ずつバラバラで進む作戦になったため、休憩の得意な僕は二人より遥に遅れる。
苦戦の末、目的地につき、晩飯にする。

この時、パスタを茹でている僕のコッヘルがバーナーから落ち、パスタが逝去した。
フライパン型やから安定性悪いんです。

絶望し、パスタの死骸を食べる。
その日、ヘザーにもらったお菓子で菓子パをする。
探検部についても色々話し合う。
久々に幸せを感じた。

8月24日
この日はマザーパスを越えました。
それぐらいですね。

"Long Long Ago" マンパにて。


8月25日
この日はピンチョットパスを越えました。
モグラみたいな顔したレンジャーに会いました。

疲れすぎて、自分の正気保てるように頭に中で1000から7ずつ引き算していました。
東京グールでヤモリがやってたやつですね。
そんな感じです。

8月26日
この日はグレンパス。
歩けど歩けど続く山道に怒りが爆発し、すごいスピードで登る。
登頂しても、知ってる顔がいなかったのですぐ下りる。

大夢さんは「Hey, Jude」というビートルズの曲にはまっていて、道中歌い続ける。

「Heeey, Jude! タダタダ―!タダターダ―!タダタダ―!Remember!タダダッダダダー!タダタダダ―!」

和訳「おい、ジュード!思い出せ!」


歌詞を知らないが歌いたいらしく、ずっとこれで歌っていた。


出口は「これはあかんやつや~」を1分に20回ぐらい連呼する。
僕は黙りこくり進む。

第三者が見たらただのカオスだろう。

8月27日
この日はフォレスターパスという4000m級のパスに登る。
しんどすぎて記憶がない。
初の4000m級で三人ともいい表情で記念撮影する。
あと残るはゴールのマウント・ホイットニーだけだ。

男性用トイレのマークみたいな湖。


このころになると日数的に食料が余ることに気づいた僕たちはこれまでの倍ぐらい飯を食べており、この日も吐くほど晩飯を食べた。

8月28日
マウント・ホイットニーの麓まで進む。
砂漠のような荒野を通過する。
人生で初めての風景ですごい興奮した。

「見渡す限り何もない。ここは砂漠。」

ギターレイクというギター型の湖のほとりでテントを張る。
パスタをいつもの3倍食べる。
不思議なもので、栄養を体が欲しがっているのか、いくらでも腹に入る。

明日はついにマウント・ホイットニー。
明日で全部終わる。早く終わらせたい気持ちがはやる。

8月29日
ついにこの日が来た。
ゴールの山頂目指して進む。

極寒の中、岩のごろつく道を果てしなく登っていく。
出口が高山病のような感じになっていた。
僕もしんどくて、正気を失わないために、頭の中で「下山したらコーラを先に飲むか、アイスを先に食うか」という議題を必死に議論していた。

途中、出口がう〇こをしている傍ら、大夢さんと立ちションする。
登ってきた道に、それも4000mから夜明け前の景色を前にする立ちションは最高だった。
Almost heavenだった。
思わず、カントリーロードを大声で歌いたくなった。

ゴールまで2マイル地点になんとか辿り着き、ザックを下ろし、アタック用の軽量装備だけ持ち、山頂を目指す。
僕と大夢さんは気持ちが先走りすぎて、4000m地帯で猛ダッシュしてバテる。
日の出には間に合わず、失速しながらもしばらく進む。
平たい所に出る。小屋が見える。

着いた!

山頂だ!JMTのゴールだ!アメリカ本土最高峰だ!終わった!
達成感で泣いてまうかなとか思っていたけど、寒すぎてそれどころではなかった。
大夢さんは体に「大阪大学探検部」とマッキーで書き、上裸で写真撮っていた。

この後、豪速で下山し、なんかよーわからへんおじさん達に「おめでとう!!!」と祝われ、ハンバーガーとコーラとアイスにありついた。
反芻したいぐらい美味しかった。
下山完了。
映画『プラトーン』より。


アイスの勝ちで、先に食べてまいました。


何が恐ろしいって、このキツい行程を2日前倒しで終わらせたこと。
出口は反対してたけど、下界の誘惑に操られた僕と大夢さんにより、下山スピードは異常なものになり、マウント・ホイットニー登頂の日中に下界に下りきった。
出口ごめん。


そんなこんなで終わったJMT。
僕のわがままで振り回してしまった節も多くて、出口と大夢さんには申し訳ないことしたな、と思っています。
最高にキツくて、最高に汚くて、最高におもろくて、最高に楽しい大冒険でした。

企画者であり、いつでも盛り上げようとしてくれた大夢さんと、笑いの種を常に作ってくれた出口にはもちろん、連絡できず迷惑おかけした在郷連絡先のみなさんにも感謝です。
ありがとうございました。


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出口です。大夢さんがすごく頑張ってくれたので、、書くことがない。
そしたらなんと捨ててしまったと思われていた手帳が見つかったので、ほぼ原文ママ書いていく。()内太字は日記を見た今の僕の感想です。(8月20日以降のみ)

8月20日
なんか朝からイライラしたことがあったけど忘れよう。(ほんとに忘れたなんやろ?)
さて今日はWi-Fi探し、活動終了報告してないピンチ丸。なんとか衛星電話借りれた。SMS届いてるかな・・・。じゃないとレスキュー呼ばれてる。今日は疲れ少なめ(レスキューが怖かったなぁほんと)

8月21日
今日も楽な行程のはずが何とも疲れた。湖が大量にあった。全く減らないマンゴー食わせた。俺の荷物の負担が減った。(マジで行動食としてたくさん持ってきたマンゴーみんな食ってくれなかったなぁ)
そういやマキ、食いもの減らされてた。大丈夫かなぁ・・笑。(俺は助かった)
湖で泳いだが寒すぎてすぐ出た。標高3000m余裕で越えてるからしゃーなし。
てかそれのせいなのか?今日疲れたのは。あとめっちゃ腹が減った。
毎日言うてるなこれ。(圧倒的カロリー不足で腹がまじで減りまくってた)

8月22日
最近面倒で日記ペースが2日に1回になってる。
さて、今日はMuir Passを超えたらあとは下るだけの超楽行程。
いやぁ雪渓で遊んだり楽しくキャンプ場に着いた。
大夢さんに半ギレになったけどまぁいいや(怒る元気を残してしまったのが原因だろうか。申し訳ないです)
お菓子もろた。嬉しい。ひたすらに菓子パ。お菓子の漢字やっとわかった(ここまで全部間違って書いてた)アホやん。テントに近い人と一緒に飯食うた。けどほぼマキと大夢さん話してた。意味理解している最中に二人が返すからしゃーない。
良く寝れたけど水分摂りすぎて吐く。
寝れねぇ(お腹を満たすためにお茶を飲みまくったらこの始末。)


8月23日
7:30起床。出口、完璧な目覚め。
しかしヘザーが食糧をくれるとかなんとか・・・。
まぁゆったりといつも通り支度をしながら、、するとヘザーがフルーツパイくれた。
朝ごはん後やったけど余裕で食った。
その後物資運び馬、ロバ、カウボーイがくるとこまでヘザーが連れてッてくれていろいろと食糧分けてもらった(オフショットのなかに参考写真あり)
もらってばかりで申し訳。
なんやかんやで10時過ぎ、、
まぁ出発。途中ドイツ人(水色)とまた何度目か分かんねぇほど再会しながらキツイのぼりへ。
途中から単独行動で・・・。めっちゃ頑張った。筋肉痛こわい。
Palisate Lakeで泳いだ。"so cold"などと昨日テン場であったおっちゃんと話しながら(頑張った出口ENGLISH)
そんときは僕一人やったから自分のペースで話せた。
一対一やと話せるけど他二人いると理解がはやくてなぁ。。。
うらやましい。
そんなこんなで予定よりちょい先のテン場へ。
疲れた。菓子パ再び。ありがとう。お腹いっぱい。
ウンコ2回出る。つら。
あと少し。明日はMuir Pass越え。
頑張る。てか夕方変に「ゴォォォォォォォオオ」って不気味な音した。
崩落?みたいな。怖い。やまって命がけやなぁ(これはたぶん飛行機がやまびこみたいに反響し合った結果やと思う)
マキパスタこぼしてメンブレしてた。ねむい。ねる。

8月24日
足痛い。下りやばい。しぬ。ちょっとまいた

8月25日
足痛い。かばって歩いてたら靴ずれ。ほんまやばい。
死ぬ。死ぬぞ。イテえーー。
飯足りんー。はぁ。
くつずれえーーー。五か所。

8月26日
今日もいつも通り八時起き
山場2日間の1日目。
あぁ。いきたくねぇなぁと。
やはり準備が一番遅い俺。
許してくれ。靴ずれのケアが。。
そしてGren Pass越え。
きつい、、、と思ってたけど言うて、言うていけた。
ただくだりクソきつかった。膝やばかった。
大夢さんもマキも膝やばいいうてたからまぁそれなりにきつかったんだろう。
なんか火事やばそう・・・。
JMTはcloseされなくてよかったなぁと
明日で最後のPass越え。頑張るしかない。
そういや指の皮ぼろぼろなった。
靴擦れは靴下変えたら耐え。
靴下はね、洗濯すべき。ふわふわ感ないと靴擦れするで。してもうたけど

ホイットニーのぼってからそのまま下まで二人はおりたがってた。
多分無理。しんどい。耐えてくれ(まぁけっかおりきれたんやけども)
おれはそこまでコーラを欲していないから楽したいというのが大きいんやけども。
今日下りなかなかにきつかったからなぁ。きびしいよ。
とりま明日頑張る


この日までしか日記はありません。終わります。

途中いろいろあったけど、なんやかんやで楽しいことしかほとんど覚えてないです。
こんな楽しい経験をさせてくれた大夢さんとマキありがとうございます。日記は見苦しいものですが最後まで読んでくれてありがとう。

またロングトレイルしたいなぁ。。なんて。

オフショット