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2019年12月4日水曜日

無双洞測量調査

皆さま、初めまして。1回生の井加田といいます。以後お見知り置きを。

もう1か月も前ですが、奈良県は上北山村に、無双洞という洞窟があります。
10月31日から11月5日まで、そこの測量調査に行った時のお話です。
測量し終えるまで帰れないという企画。
はじまりはじまり~。


【10月31日 0日目】

何故0日目か? 日もとっぷり暮れてから集合です。
メンバーは4人。甫田さん、村上さん、西澤さん、そして僕。


とは言え目的地は隣の県なのですぐ着いた。夕食は餃子の王将。

娑婆ともしばしの別れである。


山道に入り、これから毎日お世話になるであろう銭湯の近くにて車中泊。


【11月1日 1日目】

1日目。早朝はとても寒く、今日から11月だと思い知らされる。

洞窟に続く登山口に着くと、ツナギに着替えて入洞。
だがテントから洞口までが遠い。しかもただ遠いだけでなく、急峻な山道。
長靴なので大変だ。
出勤風景 

さらに、入洞するにも一苦労。下は滝なので、慎重に行く。
洞内の注意箇所より怖いとも

入洞すると、まずはリーダー・甫田さんの案内の元、一通り無双洞を見て回る。
無双洞はループやホール、支洞といった難所に溢れていた。

その後洞口からわずかに測量をして、この日は終了。
甫田さんの想定よりも、進捗は遅れているとのこと。う~む。


ツナギを脱いで、銭湯に向かう。
風呂から出て、その日測量した分を製図していた時のこと。

甫田さんの「風邪引いたかもしれん」。
前日からノドが痛い、と言っておられたが、本格的な風邪になったようだ。
隊を二分し、村上さんが甫田さんを病院へ搬送。
僕と西澤さんはテントに残った。

その後は隊内で連絡を取りつつ、互いの状況を確認したうえで就寝。

【11月2日 2日目】

お先真っ暗の2日目である。

午前9時頃に甫田さん、村上さんが病院から戻ってきた。
しかしメンバー全員が多かれ少なかれ体調不良であったため、この日は休養日となった。

当然丸々一日失うわけで、延長戦突入の可能性はいよいよ濃くなる。
ひとまず前日分の製図を終わらせる。

明日の復活を願いつつ、就寝。

【11月3日 3日目】

3日目。朝っぱらから腹に流し込む、味の濃いカップ焼きそばにも慣れてきた。
血液ドロドロに違いない。


前日一日中寝ていただけあって、メンバー全員復活である。
意気軒高、今日中に最奥まで測量するぞ。


この日から今回の調査の秘密兵器・ポケコンが投入された。
甫田さん大喜び。洞窟に入れば人が変わるが、ポケコンのおかげで一層拍車がかかる。
そんなにポケコンが可愛いのだろうか。
ご満悦?

溢れ出る職人感

僕としてはキクガシラコウモリやカマドウマの方が可愛く見える。


ポケコンのおかげもあってか、予定通り最奥に到達。
支洞やループも繋げ、ある程度進んだ。

銭湯に行く前に夕食である。しかし食材がない。
キムチ鍋のスープの素と、うどんの麺、食パンしかない。
その結果できた食事が、写真のものである。
食事・・・?

食パンをキムチスープに浸ける西澤さん

「最後の晩餐」


ご家族から焼肉に行かれた写真がわざわざ送られてきた西澤さん。
心中お察し致します。

何はともあれ、3日目も終了。

【11月4日 4日目】

4日目。今までで最も冷え込んだ朝だったと思う。
いつのまにかハロウィンも終わって、11月になったな・・・と郷愁に駆られる。

この日の目標はホールと、1989年の調査では未測量の支洞を終えること。

ここでも隊を二分し、僕と西澤さんでホールを、
甫田さんと村上さんで未測量支洞を測量する。

ホールと主洞を結ぶ道が、メヤンダートレンチという形状になっている。
トレンチ(溝)らしく狭い
この鱗みたいなのはスカラップというそう

この日の測量で、残るは洞口入ってすぐの分岐で分かれる、水支洞のみとなる。

この日の夕食は銭湯近くの定食屋で。久々の文明的な食事に感謝する。
カレー美味しかったです。ごちそうさまでした。

【11月5日 5日目・最終日】

最終日。残した水支洞の測量である。

なるべく濡れないように壁を伝いながら作図していく。
5日目ともなるとサクサク進み、昼過ぎには水支洞の測量終了。
腰と膝が痛くなる姿勢

最後に、水の流れているもう一つの洞口を測量してそのまま出洞である。
洞口は水が多く、全身濡れざるを得なくなった。

ままよ、と思いザンブと水に入る。

冷たいね。もう11月だよ。水に入るような季節じゃないよ。

だがこれで終わりだ。無双洞よさらば。次来るときは新歓になるのでしょうか。


何はともあれ、測量終了だ!やったー!
達成感に包まれて帰阪するものと思われたが・・・・


さすがは探検部の企画、そう簡単に終わらない。

車のタイヤが石を踏んでパンクした。

西澤さんが油圧ジャッキでタイヤを交換する。かっこいい。
あの場にいた1回生が口下手な自分だけだったのが残念でならぬ。
その後はタイヤを気遣いつつ、帰阪。長い長い6日間であった。



僕にとっては3回目の洞窟であり、また久しぶりにテントで寝ることができた。
精神的に追い込まれた決して楽ではない合宿だったが、
とても貴重な体験になったと思っている。
先輩の御三方、本当にありがとうございました。

今の1回生はあまり洞窟に行きたがらないようだが、行きましょうよ、ね。
コウモリ可愛いよ。カマドウマも。


ね?行きたくなったでしょ?












2019年11月13日水曜日

回生企画 六甲ナイトハイク

はーいどうも。斎藤です。

あーーーまちかね期間鈴鹿セブン縦走行きたかった。
なんで家の中で右足の人差し指の骨にひび入るかね。あほやろ。あほすぎ。あほすぎる。本当にその節は関係者各位にご心配とご迷惑をおかけいたしました。

そしてその怪我のせいで下見行けなくてごめんなさい。行ってくれた方々ありがとう。

えー謝罪はこれくらいにして。

11/910に摩耶山に1回生でナイトハイクしたお話です。

恒例となりつつあるらしく、昨年の企画書をほぼ踏襲して、企画立てました。聞くところによるとこのナイトハイクで回生どうしの仲が一気に深まったとか。たしかに同じ企画に行くと距離縮まるけど、同期だけでわいわい集まる機会ってなかなかないもんなー。

呼びかけたら予想以上に人集まってくれて。気合いが入る。

出発が近づくにつれ、季節が進み、気温が下がってきた。山頂、非常に寒そう。
いやこれ…やばくね??
企画者として同行者を凍えさせるわけにはいかない。
寒いし暗いし…もうキャンセルでるならでてくれ。
明らかに一人分じゃない防寒具を詰め込みまくった結果60Lザックがええ感じにいっぱいになる。あれれ。

体調不良や家の事情で竹下、ゆーり、清川が来れなくなってしまう。残念…また次の機会ね。
22:17、六甲全縦中のふたりから疲労で来れない連絡がくる。うん、そりゃ仕方ない。

こんな遅くまでお疲れさまでした
しばらくのち、鈴子からLINEで六甲全山縦走終了の報せ。
そしたら行けなくなった清川からの熱いメッセージが届く。
鈴子少し揺らぐ。
清川が福井銘菓の羽二重くるみのごほうびを提案する。
鈴子揺らぐ。揺らぐ、揺らぐ……

「今から向かいます!」

…すずこぉぉぉぉぉぉぉ!!!さすがやぁぁぁ!!!


各班それぞれ部室から持ち出したり買い出ししたりして23時六甲駅集合。バイト終わりの方々お疲れ様。さえはなんで土日フルでバイトいれたんや。藤澤は昼間にすでに六甲系を登っていたそうだ。

重松班に全縦組の鈴子とれなを拾ってもらうようお願いし、斎藤班、上別府班の順に出発。ひたすら坂道の住宅街を行く。
鍋係の三村
半袖は寒くないか?

後ろ向きで登る人々
眺めるさえは苦笑い(映ってない)
ナイトハイクって不得意やぁ。暗いからゴールがわからない。
だから逆に坂見て絶望することなく登れるから楽やという声も多いけど…
私は不得意やぁ。なんか知らんけど一泊のテント泊より荷物重くなってるし。
ぐったり鈴子
手塚もおつかれ

誰も小言のひとつもこぼさず速めのペースで歩を進める。みんな忍耐力あるなぁ。これならどこの山でも登れるよ。一緒にいろいろ行きたいな。
えっちらおっちら登って掬星台到着。夜景えぐい。
ふぃ~

100万ドルの夜景というのも納得

防寒具をおのおの着用し、鍋や豚汁の準備に取り掛かる。
藤本が探しまくってくれ、上別府が見つけ出してくれた部室のサッカーボールで鳥籠。走ったら暖まった。楽しかった。

鍋おいしい。いやめちゃくちゃおいしい。夜中2時の鍋がこんなにおいしいとは。締めのうどんも味が染みてて美味しかった。
暖まるね
鍋が早く終わった私の班はチーズフォンデュの具材の下茹でをした。
チーズフォンデュ部長のちあきが大活躍。ブロッコリーにじゃがいもに人参。さえと朱音と3人で下準備頑張ってくれた。じゃがいもつまみ食いしたらほくほくで美味しかった。
鍋、豚汁がひと段落したところでチーズフォンデュタイム。
チーズを100均の直火対応のアルミ皿にたっぷり入れ、牛乳も足していざ加熱。
とろとろしたチーズフォンデュの完成。20名によるチーズ争奪戦が繰り広げられる。
フォンデュ中のチーズの割合が高いゆえに具材にたっぷりチーズがついてしまう。贅沢。


フォンデュ第二弾
混ぜまくる三村
チーズを溶かしまくる三村
後半、チーズが不足し、また具材が冷えてきたので、ひなこ先生によりフォンデュにアレンジが加わる。

具材をいれて煮込んじゃえ
これがめちゃくちゃおいしかった。
男子は「チーズ卒業」とかいって、ベンチに四段座り(?)してくっついておしゃべりしていた。なんやねん卒業て。女子はみんなぱくぱくしてた。元気。いいね。鈴子とれなは寝袋の中で就寝。60Lのザックで歩荷したかいがあった。そのあとなぜか、なぎさが寝袋でぐっすり寝ていた。どこでも寝るねぇおぬしは。
エマージェンシーシートにくるまる
鈴子と初音
山頂でたっぷり楽しんだあと、片づけて、5時ごろからおのおの下山。街までおりたら朝焼けがきれいだった。ふもとの温泉は朝五時から開いていた。有能。素晴らしい。

総勢20名以上のナイトハイク。これだけの大人数になると心配事だらけになってひとりであたふたしてしまってた。みんなはどう考えているのか、どうやったらみんなが楽しめるのか、些細なことも考えこんでしまい、自分自身でよくわからないことになったりもした。やけど周りが話聞いてくれたり、動いてくれたりして助けてくれ、事故なく無事に終わらせることができた。ありがとう。楽しかった。
うまくできひんかった部分とか、これでよかったんかなぁと思う部分がいくつもあって、帰宅直後はうじうじしていたけれど、暖かいメッセージもらえて、企画者冥利に尽きます。
次の回生企画はだれが立ててくれるかな。企画じゃなくても、また集まっていろいろできたらいいなぁ。
ふもとの朝焼け

最後まで読んでいただきありがとうございました。

2019年10月24日木曜日

全休アルプス戦線 -4

私の記録を以て最終章とする。
海軍元帥大久保優人


六日目
 双六小屋幕営場。
 湿った天幕で目を覚ます。昨日の夜からはましになったが、まだ雨は降り続いていた。前室に置いておいた食器類は雨粒の跳ね返りのせいで砂まみれだ。
朝食の乾麺を掻き込み、濡れて重くなった天幕をルックザックの中にしまう。
渡村陸軍元帥は夜間、天幕の生活環境が低下する、とモント・ベル 探検背嚢 百 を外に放置していたが、漏水して中が全て濡れているとぼやいていた。
 すでに濡れた雨合羽を羽織り、登山道に向かう。小屋で今日の天気を確認し、外に出た。もっとも、下界の天気予報しか見ることができないため気休めにしかならないのだが。小屋番の娘に満面の笑みで「行ってらっしゃい」と言われる。しかし私たちにはそれと同じ笑顔で返事をする元気はすでに、ない。すべてはこの天気のせいである。恨みつらみ妬み嫉みを一歩一歩に込めて踏み潰し、私たちは西鎌尾根に入った。私の機嫌は恐ろしく悪く、ここの辺りで言葉を発した記憶がない。おそらく他の隊員は感じていただろう。今大久保に余計な事をするとぶちギレられてぶん殴られるだろう、と。もしくは三人も私と同じ感情を抱いてたのではないか。きっとこの天気で気分の良い者はいなかったはずだ。
 体にまとわりつくガスが私たちの足取りを重くする。今日の目的地は槍ヶ岳山荘だ。できれば上高地近くまで下りておきたいが、このまま進めば上で一泊は免れそうにない。
 あれこれ考えながら、こうするしか気を紛らわす方法がなかったのだが、歩いていると刹那視界が明るくなった。何か、と顔を上げると上に晴れ間が見えるではないか。久方ぶりの青色に昂揚する。昨日の水晶岳山頂で拝んだ晴れ間ははるか昔のことのようである。
 しかし、今日のそれは厚い雲に覆われた空がほんの一部開けたに過ぎなかった。私たちは知っていた。どれだけ空に拝んでも、どれだけ山を愛しても、この山行が晴れることはないのだということを。これまでの五日間何度期待し、何度裏切られたか。黒部源流で川に落とした山への信頼はとうの昔に日本海にたどりついていることだろう。
 だが、今日は違った。針の穴ほどの晴れ間はどんどん広がり西鎌尾根の南西側がすべて晴れわたった。太陽よ、神よ、太陽神よ。私はこの瞬間に古代エジプトまで自らの魂を飛ばし、かの隼頭太陽神ラーに跪き、足を舐め、一生信仰することを誓ったのだ。
福元はニヤリと笑い、渡村は杖を空に突き上げた。遠くには笠ヶ岳が見え私たちが北アルプスに、まさに、存在していることを実感する。周囲の展望がないと、「ここはただの坂道なのであって、実はアルプスにも山にも来ていないんじゃないか」という気持ちになることが往々にしてある。
 話は逸れるが、自分が山に来ていることを確実に理解できるのは、辺りの景色があってこそだ。外から見ればその山は視覚的ほぼ間違いなく「山」として存在しているのだが、登っているときにはそれが山なのかどうか私たちはわからない。言葉をもって初めて世界は実体化される、とはよく言われることだ。つまり、外からそれを見た人によって名前が与えられて初めて、山は山として存在するということだ。しかし、私からすれば山においては、言葉「と景色」が山へ入る者の世界を作り出している。地図や全地球測位機などを使用した際の地点名によって認識することはできるが、それはあくまで人が後から付けた「言葉」であって絶対的な指標ではないのである。そこに視覚で捉えうる「景色」が広がり二つが合わさってようやく私たちは「山に登っている」ことができるのだ。
 そんなことはどうでもいい。とにかく青空が見えるのだ。雲の動きは早く、ときたま私たちを覆うものの、最終目標槍ヶ岳への道のりは確かに明るかった。自然と歩調が早まる。瀬野空軍中将が何度か休憩を求めたが、聞こえないふりをするか、厳しく励ました。いつものことではあるのだが、「もうすぐ小屋に着く」などと特に確信のないことを言ってみたりもする。西鎌尾根の鋭い稜線を歩き、鎖場を超えじわじわと上がる標高に昂揚感が増してくる。途中、鎖場で後続隊員を待っている際に「今朝双六小屋を出て槍の山頂を取った。これから三俣山荘から黒部五郎を通って折立に下山する」と言う青年とすれ違った。驚くべき彼の予定よりも私の頭に残ったのは「槍の山頂は晴れていた」という言葉だった。だが、尾根の正面に見えるはずの三千百八十米の頂は、薄い雲が代る代るその姿を隠し、私たちを焦らし続けていた。遠くの緑と南の青空を燃料に歩を進める。いつの間にか森林限界を超え、厳つい岩のいたるところに、ペンキでべっとりと書かれた槍ヶ岳山荘の文字と登山道を示す矢印がみられるようになった。
 小屋が見えてからは早かった。左手に槍の穂先、右手に小屋、正面には上高地に続く急斜面が控えている。小屋横の机に荷物を投げ置き、しばし体を休める。ついでにルックザックの中身も放り出しここぞとばかりに乾かす。天幕、雨合羽、濡れた服から食器類まで、今日の天幕環境をどれだけよくできるかはこの時間にかかっているといっても過言ではない。その間に小屋に入って下界への土産を漁る。小屋番の青年は少し面倒そうな顔で私たちの相手をする。渡村陸軍元帥は満を持してシャツを獲得していた。私は郷の両親への絵葉書を購入した。小屋前で穂先を眺めながら簡易椅子に腰かけ書く手紙には感慨深いものがある。
 ひと段落着いたところで山頂に向かう。この戦線で最も危険な個所の一つである。慎重に岩をつかみ、梯子を上りついに午前十時、私たちは今戦線最後の山、槍ヶ岳の山頂に立った。二千八百米ほどの高度にたまった雲を見下ろして槍は確かに晴れていた。私たちは帝国旗を広げ、縦走戦線の作戦成功と北アルプスの占領を宣言した。隊員各々感傷に浸り、私は今戦線の精神安定剤であったコークを喉に流し込んだ。特別喉が渇いていたわけではないのだが、これを飲まないと終わった気がしないのだ。何か依存性の高い薬物でも含まれているのだろうか。しばし山頂を楽しんで小屋に下る。
 装備を存分に乾かしたので上高地に向かう。午前十一時、今日の目的地は横尾山荘に決まった。「安い、安い飯だねえ!学生以来こんなの食べてないからね!」と即席麺をむさぼる老いた我が帝国民を横目に見ながら下山を始める。まだところどころに雪渓が残っていた。先ほどまでは私がその神の靴を舐める勢いであった太陽も、主張が強すぎると厄介だ。雪解け水をかぶって体を冷やし歩を進める。時々後ろを振り返って、つい先ほどまで立っていた槍の穂先を、そして彼の後ろに隠れているアルプスの山々を想った。
 午後三時、横尾山荘着。私は初めて上高地の防衛範囲内の小屋を訪れたのだが、その大きさと清潔さに思わず声を張ってしまった。受付の娘は、私たちが外で騒いでいるのを聞いていたのか、くすっと笑って幕営場の説明をしてくれた。
 幕営場の横では槍の麓の雪渓から溶けて出た水が梓川となって音を立てていた。天幕を張り、水浴びに出る。渡村元帥は一日一本と決めていた最後の煙草をうまそうに吸っている。スゴ乗越小屋で小屋番が吸っている煙草を恨めしそうに見ていた彼がすでに懐かしい。
 最後の晩は食料を食べつくした。渡村元帥の個人非常食からも多くが提供され、その様子は彼の郷の母に写真で送られた。天幕の中は暑くて寝られなかったため、私の無線機器の一機能「あまぞんぷらいむ」の中から『任務不可能-落下-』の鑑賞会が行われた。気づくと眠りの中にいた。


七日目 横尾山荘
 午前七時、暑くて目が覚める。天幕での最後の食事を済ませ、軽くなったルックザックを背負い出発する。梓川に沿って歩き間もなく上高地に到着した。七日ぶりの温かいお湯につかり体中の垢をこそげ落とす。陸軍元帥は風呂から出た後の売店での食欲の解放の計画を入念に立てている。福元衛生旅団長は自由に伸び切ったしつこいひげをそるのに必死だ。瀬野空軍中将は、わからない。
 バス乗り場へ向かう。上高地という土地はあまりに観光地化が進みすぎていて、長期の縦走を終える場所にはどうも向いていないようである。大きなルックザックを背負った私たちには少し居心地が悪く、白い目で私たちを見る人々もいなくはなかった。金も体力もないので土産の試食を食べて回る貧乏学生を演じるしかやることがない。便所には、銭湯の番台よろしく協力金支払監視婆が控えており窮屈だ。最も、福元は婆の目をかいくぐって用を足すことに楽しみを見出していたようだが。
 靴を洗い、杖を洗い、バスが来た。
 私たちは阪急三番街行アルピコ交通さわやか信州号に乗り込み大阪への帰路に就いた。




西鎌尾根 晴れ間

同上

元帥 同上


雪渓



ぐへへ

西鎌尾根 鎖場

槍ヶ岳山荘

ゴミ箱?

家?

同棲してるん





山頂へ



マグm...空軍中将

信大ワンダーフォーゲル部
占領宣言






山荘
何だ





小さくなったルックザック

横尾山荘

横尾山荘

梓川


晩餐

横尾基地

ウヰスキーのとも

元帥の飯を食らう
牛肉の赤ワイン煮込み



上高地
Mの地

弱火でじっくり焼き上げた







2019年10月24日  第一刷発行
著者  大久保優人 瀬野加奈子 福元稜雲 渡村真生
発行者 大久保優人
発行所 大阪大学探検部
    〒560-0043  大阪府豊中市待兼山町1-10 明道館BOX23



探検部55期 大塚ごうき、大塚りょうや、竹野はるな、三氏に敬意を表して