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2026年4月4日土曜日

消えたロープウェイ(+α)を追え! 比叡山廃墟探索記

 新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます!

 ……というわけでこんにちは。65期(新2回生)唯一の文学部生のモリリンです。今回は昨年11月に立てた廃墟探索企画についてのお話。実はかなり前に書き始めてはいたのですが、途中まで書いたところで放置してしまい、気づいたら投稿が新歓直前になってしまいました……(汗)

 さて、昨秋のある日のこと。部室で同期と話していたら、「比叡山に行きたい」という話題が出たので、その周辺について調べていると、こんな情報に突き当たりました。

 ――比叡山の山中には、戦前期にわずか十数年間だけ存在した、“消えたロープウェイ”の遺構が眠っている……。

 一昨年の冬、64期の國部さんが立ち上げた新分野、「廃線廃道探索」(詳しくは廃線廃道探索① 愛宕山鉄道鋼索線跡を参照)。これは、愛宕山に続く新たなフィールドになるかもしれない……と思い、さらに調べてみると、付近には廃ホテル・廃遊園地の遺構まで残っているのだとか。これだけネタが揃ってしまったら、企画を立てないわけにはいきません。

そもそも“消えたロープウェイ”とは?

廃墟群の位置関係(地理院地図をもとに筆者作成)

 “消えたロープウェイ”の正体は、「叡山空中ケーブル」(ケーブル、と名乗っておきながらロープウェイです、ややこしい……)。比叡山の観光開発を狙った京都電燈(関西電力の前身。電力事業と並行して、現在の嵐電や叡山電車なども運営していた)が、1928年に開業させました。当時、出町柳から麓の八瀬比叡山口までの普通鉄道と、そこから比叡山上までのケーブルカーは既に開業済み。叡山空中ケーブルはそこから比叡山延暦寺の境内までのアクセスを担い、こうして誰でも気軽に延暦寺に参拝できる行楽ルートが整備されたのです。

 京都電燈の社史である『京都電燈五十年史』(1939年)で「本邦最初の架空索道」と謳われるほど、ロープウェイの導入は当時としては画期的なことでした。しかし戦争の激化により、開業から僅か16年後の1944年、叡山空中ケーブルは休止されます。そして戦後の1956年、京福電気鉄道(京都電燈から鉄道事業を承継)が別ルートでロープウェーを開業させたため、そのまま廃止されてしまいました。現在は、山腹に旧高祖谷駅の遺構が残存するなどしており、その周辺には、開業後僅か6年で戦争の激化により閉業した「叡山ホテル」、そして同じ場所で昭和初期から1960年代にかけて開催されたという夏季限定の遊園地、「叡山パラダイス」の遺構も残されています。

 今回の企画は、戦前の観光開発の夢の跡である、これら3つの廃墟を体当たりで探索しよう!というものです。

ロープウェイの廃駅を目指して

 昨年11月16日。紅葉シーズン真っ盛りの快晴の日曜日、廃墟探索に向かうべく、叡山電車の終点・八瀬比叡山口駅に降り立ったのは、64期2名・65期5名の計7名。電車を降りたハイカーのほとんどがケーブルカーの駅に向かう中、我々はその脇を通り過ぎ、登山道へと入ります。途中からは一般登山道を外れ、地理院地図上の破線に沿って登っていきます。

杉林の中を突っ切って進みます
途中、視界が開けて京都盆地を望める場所も

 登り始めてから約2時間。山中に、巨大なコンクリートの構造物が忽然と姿を現しました。それこそが、叡山空中ケーブル・旧高祖谷駅。早速、当時の痕跡を求めて探索開始です!

これはおそらく機械室か……?

側面のアーチに空いた穴

ウインチとかが設置されていたのかも?

中はこんな感じ

屋根の上に登る小塚さん(64期)


かつてのプラットフォーム跡

プラットフォームの端には、下向きに空いた穴があり……

下から見るとこんな感じ
支柱でも立ててあったのだろうか?

駅舎跡?
屋根はほとんど朽ちてなくなり、かろうじて一部だけが骨組みに引っかかっていた

お次は廃ホテル・廃遊園地の探索へ!

 旧高祖谷駅の探索を一通り終え、お次は「旧叡山ホテル」「旧叡山パラダイス」の探索へと向かいます。

「HIEIZAN」の文字が躍る、ケーブル比叡駅前にて

 旧叡山空中ケーブル(もう一度言います、ケーブル、と名乗っておきながらロープウェーです……)とは対照的に、昭和初期の開業以来、今日に至るまで現役で活躍し続けている叡山ケーブルのケーブル比叡駅。その賑やかな駅前に、1本の脇道があります。ガラス片の散乱するその道を、奥へ奥へと進んでいくと……。

 ……あった!これが地階だ!

 旧叡山ホテルは、この地階を含め3階建て。上の2つの階は木造で、廃業後に現・城陽市に移築されたという情報も。現在はコンクリートの地階部分だけが残されています

 冒頭でも述べましたが、昭和初期から、戦争を挟んで1960年代まで、夏季限定の遊園地「叡山パラダイス」も存在したというこの場所。当時の痕跡を探してみましょう!

探索中に発見した、古いアサヒビールの缶
調べてみると、日本初の缶ビール・アサヒゴールド(1958年発売)のもののようです

壁には古いバス路線図がペイントされていました
よく見ると、「琵琶湖大橋」という文字が!
橋が開通した1964年以降に描かれたものと推察されます

パチンコらしきものの残骸

旧・叡山パラダイス現役当時の看板?

ゴーカートのコース跡

かき氷機のような何か

ここから小塚さん3連発
キョンシーらしき立て看板と

謎の遊具と小塚さん

お面の残骸?を被る小塚さん

~おまけ~

比叡山頂付近からの眺め

なお、肝心の山頂はこんな感じ

下山途中、延暦寺にもちょっとだけ寄り道

廃墟探索を終えて

 さて、こうして比叡山に眠る廃墟群を探索してきたわけですが、肉体的にも、好奇心を刺激するという意味でも、想像以上に探索し甲斐がありました。探索後に知ったことなのですが、比叡山空中ケーブルの支柱跡が1本、ほぼ完全な形で比叡山中に残されているそうなので、そちらも探索する価値はありそうです。

 探検、と聞くと、登山、洞窟、無人島、川下り……。そんなものを想像するかもしれませんが、廃線、廃道、廃墟といった、役目を終え、山中でひっそりと消えゆく構造物たちを追いかけるのも、また1つの探検のカタチ。そこでは、先人たちの夢や営みが、タイムカプセルのように保存され、誰かに再び発見される時を待っているのです。

 しかしながら、こうした廃構造物は、経年変化によって少しずつその姿を変えていきます。崩落してしまったり、立ち入り禁止になってしまったりして、二度と訪れることができなくなる、そんなことも珍しくありません。皆さんもぜひ、一度廃墟探索に挑戦してみては?

 長々と書いてしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございました!

2025年10月10日金曜日

まったり回生企画・摩耶山トゥエンティクロス【65期】

  はじめまして!65期のモリリンと申します。

 さて、去る9月28日(日)に、65期はじめての回生企画として、六甲山系・摩耶山へ登ってきました!

 過去何度も企画が立てられてきた摩耶山。せっかくなので、探検部にとって未踏のコースを辿ってみようと考え、企画フォルダやブログを漁った結果、今回は「トゥエンティクロス」というコースで登ることに。沢登りではなく、むしろ初心者にやさしい一般登山道ですが、幾多の渡渉を繰り返しながら、生田川を源流まで遡る『完全遡行』チックなことができるという、ユニークなコースです。


布引雄滝
ロープの使い方次第では、もしかしたら登攀できるかも?
(それ以前に規制に引っ掛かりそうだが)
 朝8時半に新神戸駅集合。探検部にしては珍しく(?)、なんと遅刻者ゼロという上々の滑り出し(なお1名、駅のコンコースで物理的に滑って負傷スタートの人がいたらしいですが……)。夕方から雨の予報だったこともあり、計画からなるべく遅延させたくなかったので、企画者としては本当にありがたい限りでした。

 登山道に入ると長い階段を登り、まず初めに現れるのが、落差43mの布引雄滝。それを見た参加者の感想は、「この滝登れるんかな?」でした。これだけ大きな滝を見て圧倒されるのではなく、どう登るかという発想になるあたり、65期の面々は、早くも探検中毒になりつつあるようです。



 

 新神戸駅から2㎞、市ヶ原を過ぎ、トゥエンティクロスに入ると、あれだけ多くの人が行き交っていた登山道も一気に静かに。緩やかに高度を上げながら、生田川を何度も渡っていきます(現在は治山事業が進められ、渡渉点が少なくなっていますが、かつては本当に20地点あったそうです)。この日は気候も快適で、皆でおしゃべりしながら、どんどん六甲山系の奥地へと歩を進めます。中には壮大な企画のアイデアを語っている人もいたので、今後の実現に期待ですね。

河童橋を渡るB班
しっぽの青いトカゲ発見!
A班の面々



 


立ち枯れた木々


渡渉点でひと休み




 

飛び石のようになっているので
渡渉もゆる~く楽しめた









 



 

 新神戸駅から3時間半余り歩くと、生田川の源流・穂高湖に達します。ゆっくり登っていたはずなのに、この時点で計画から30分程度巻いていたので、湖畔のピークであるシェール槍に立ち寄ることに。槍・穂高と聞くと上高地を連想しますが、その名の通り、風景が上高地に似ていることから名づけられたようです(全然似ていない気もしますが)。

 ちなみに、シェール槍の「シェール」というのは、1910年代にこの山によく登っていたドイツ人の名前だそう。六甲山系には、他にもアゴニー坂やカスケードバレイなど、横文字の地名が多く存在しますが、これらは幕末の開港以降、神戸に住まい、日本に西洋の登山文化を持ち込んだ外国人が名付けたもの。「名は体を表す」といいますが、山岳地名にも、その山の地形の様子や、歴史・文化の蓄積がよく表れるので、「なぜそんな名前なのか?」と考えながら登ってみるのも面白いのです。

 ……という、地歴オタクの主張はさておき、シェール槍へはちょっとした岩場を登ります。山頂が狭いので、少人数に分かれ、交代しながら登っているうちに、最大30分巻いていたのが、逆に30分の遅延になってしまいました。これから雨が降るというのに、これはマズい。少し急ぎ足で先へ向かいます。

先に登頂したA班
シェール槍へは岩場の急登
後ろには穂高湖が見える



 



B班のうち後発隊3名
A班から3,40分遅れての登頂
早く登り終えたA班は、
穂高湖畔のカフェでまったり
羨ましいなぁ……(by B班)


奥に見えるのは鈴蘭台の住宅街


 














 

 

 15時。計画から20分程度遅れて摩耶山掬星台に到着。掬星台から眺める神戸・阪神間の風景は、日本三大夜景にも数えられますが、昼間の景色も十分絶景です(少し霞がかっていましたが)。遠くにはあべのハルカスや、いつの間にかカルト的人気となっているらしい赤い腸ミャクミャクの根城も見えました。

 さて、ここでお待ちかねの昼食です。クッカーとアミカスで調理する人もいれば、持ってきたリンゴにかじりつく人も。中には「魔改造カップヌードル・シーフード 明太海鮮もんじゃ味」という、名前の情報量が多すぎる商品を食べている人もいました(本人曰く、めっちゃおいしかったらしい)。

掬星台にて、集合写真

阪神間の街並み
あいにくの曇天……
みんなでランチタイム











神戸港方面
赤い塔がポートタワー












 



 その後は本当の摩耶山頂を経て、遅れを取り戻しながら上野道を下り、何とか雨が本降りになる前にゴール地点の阪急王子公園駅に到着。解散後は温泉に行く人もいれば、石橋に戻って部室で食事会をする人も。皆思い思いの時間を過ごしました(なお当の企画者は前日夜遅くまでバイトで疲れていたので、家に直帰して爆睡しました)。

下山中の一枚
摩耶山頂の三等三角点
本当の山頂はとにかく地味

 








 拙い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。今後もブログの執筆は続けていくつもりです。脱線しがちで長文の記事になることが多いかと思いますが、どうか温かい目で読んでいただきますよう、よろしくお願いいたします。

 また、65期には、先輩方に負けないくらいの、探検への強い情熱を持った、個性的なメンバーが揃っています。これから、バリエーション豊かな、時には“ぶっ飛んだ”挑戦が数多く行われることになるでしょう。今後の65期の活動にも、ぜひご注目ください!

2025年6月24日火曜日

日本最長!信濃川ダウンリバー 

ep.1 旅が始まる!

さあ!いこう!


4/30 旅立ちの時


とうとう出発の日がやってきた。
僕(今岡)と有末はカヤックへの情熱とまだ見ぬ信濃への思いが最高潮に高まっていた。

出発は梅田のバスターミナル夜10時ごろの長岡駅行のバスである。

ひとり8000円

まずこの日、部室にて6時ごろ落ち合った僕たちはたまたまそこにいた中邨とともに出発前の腹ごしらえに向かった。
3人はとんかつを食べに松のやへ。勝負の前はとんかつと相場が決まっている。まあでも実際別に勝負しにいくわけでもない、ただ松のやが安いというそれだけの理由で松のやが選ばれただけだ。

とんかつを食べながらこの旅への思い(主に不安)を語り合いながら、カツを食べた。白ご飯が食べ放題ではあるがここで食べすぎては夜行バスでお腹が心配なので抑えめに食べることにした。だいぶん先を見据えて行動ができるようになってきたものだ。

とんかつを食べきり、中邨に見送られ、僕と有末は阪急宝塚線で石橋から梅田へ。
梅田スカイビルの1階からバスはでるそうなので阪急梅田から10分ほど歩いて向かう。
再開発が進み綺麗になったあたりを歩いて抜けていく、自分たちのほかにも大勢同じ方向に向かう人がいた。

マツダのショールーム、かっこいいね

都会のバスターミナルは大抵そうだが、ここのターミナルの待合席もやはり人で埋まっていた。みんな早めに来て自分の予約したバスを逃さないように必死なのだろう、僕たちは建物の外のベンチで時間をつぶすことにした。

こいのぼりが夜の梅田を泳ぐ

出発の時間がやってきた。運転手に僕たちの大きなザックを荷室に入れてもらい座席へ向かう。
隣の席が見知った人間の高速バスは気楽に乗れていいものだ。いつにもましてぐっすり寝られる気がする。(いびきもあんまり気にしなくていい)

夜行バスなので出発早々電気も消され、僕も常備しているアイマスクと耳栓を装着してさっさと寝た。近頃は特技といっていいほどどこでもすぐに寝られるようになってきた。野宿だってどこでもできるし僕にはもう宿はいらないと思う。

旅の出発には色々なことを考えるものだ、例えば現地の景色を想像したり、どんなご飯があるか考えたり。けれど僕の睡眠力のまえではそんな旅の趣もへったくれもない、気づいたら寝てしまって朝が来ているからである。ということですぐに朝が来てそこは長岡であった。


5/1 長岡到着

長岡駅前!バス降車!

朝6時過ぎ、バスからおりたらそこは長岡駅前の商店街。朝早いからどの店も閉まっていて長岡の町がどれくらい栄えているのかはよくわからない。
長岡にトー横みたいなとこがあった!

有末が朝ごはんを食べようというので長岡駅構内のパン屋へ行ってモーニングを食べることにした。図らずとも同じクロックムッシュを二人は注文して仲良く食べた。この旅では幾度かこうやって同じものを注文することがあった。(食に関しては)案外気の合う二人なのかもしれない。

駅のコンビニにあった、買わなかった

モーニングを食べ終えザックを背負った二人は長岡の町へ歩き出した。

長岡市民の足と有末の足

ところで私たちは肝心の船を持たずに長岡に来ていた。なら船はどうしたのかというと、
遡ること5日前4/26に大阪大学の近くのヤマト運輸の営業所から長岡東蔵王営業所へ送っていたのでした。

そして営業所止め、現地受け取りにしていた船を営業開始時刻8時ちょうどに受け取り信濃川へ向かった。20kg弱あるこんな船を約8000円で運んでくれるヤマト運輸はありがたいものである。
これからもこのシステムで旅をする際は利用させてもらおう。

花火大会が有名な長岡だからだろうか

そんな重い船を有末君は頑張って信濃川の河川敷まで運んでくれました。20分ぐらいの距離だけど大阪から長岡までよりも長く感じる気がしたね。ありがとう有末君

有末は船、今岡は二人の荷物担当

信濃川までついたら、漕ぎ出すのにちょうどいいところを探し出し、船を組み立てる。
やっと信濃川!

組み立てにもなれたね!

そうして5/1の10時ごろ、ようやく二人はわれらが艦艇アルフェック・ボイジャーで信濃川に漕ぎ出していくのであった。

次回 エピソード2、ダウンリバースタート!に続く

ぷかぷかでうきうきな有末(蔵王橋のたもと)