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2018年10月10日水曜日

インドネシア共和国民族調査①

みなさま大変お待たせ致しました。
今回は56期川本による海外遠征企画「インドネシア共和国民族調査」をお送りします! 

本企画が始動したのは5月後半。
企画者の熱意溢れるメーリスに誘われ、各家庭の許可も得た4人の隊員が決定しました。

川本  A.Kawamoto(理学部3回:隊長)
鍬田  H.Kuwata(基礎工学部3回:癒し担当)
渋谷  K.Shibuya(工学部3回:尺八担当)
瀬野  K.Seno(外国語学部2回:言語担当)

左から鍬田・川本・渋谷・瀬野

まずは唯一の2回生で外国語学部インドネシア語専攻(!!!)の瀬野から順にブログを書かせていただきます。

【探検部×インドネシア】

これは私の大学生活のすべてであり、これ以上ない最高の組み合わせ。参加しない理由などありませんでした。

事前に何度か会議を重ね、予防接種も行いました。また、大阪大学言語文化研究科所属でインドネシア語専攻の先生である菅原由美准教授の研究室を訪ね、インドネシア共和国の基礎知識やフィールドワークのアイデアなど大変参考になる話を聞かせていただきました。

さあこれで準備万端!かと思いきや、実は出発前からトラブル多発。

当初は9/10-27の18日間でインドネシアの島々を巡る予定でしたが、出発1ヵ月前に(登山予定だったインドネシア1美しいと言われるリンジャニ山を震源とする)ロンボク島でM7.0の地震。
また出発6日前には台風21号が直撃して関西国際空港が一時閉鎖。

ついには出発2日前に飛行機の欠便が決定し、計画は白紙状態に・・・?

しかし、川本さんが英語を駆使して航空会社と交渉してくれたおかげでなんとか9/14成田空港発の便に変更することができました。が、一時はどうなることやらと。。


【1日目】成田~Yogyakarta(ジャワ島)

この日は移動日。まずは成田空港からインドネシアの首都であるジャカルタのスカルノ=ハッタ空港まで約8時間のフライト。
その後、トランジットで国内線に乗り継いでジョグジャカルタまで約1時間のフライト。
到着したのは夜11時前。この日は空港近くのホテルで一泊しました。


【2日目】Yogyakarta~Makassar(スラウェシ島)

この日も移動日。
ですが、午後の飛行機まで時間があるのでジョグジャカルタの下町を散策することに。



ジョグジャカルタはジャワ島中部に位置する特別州で、現在でも知事職を兼ねるスルタンが王宮に住まい、王宮を中心に芸術文化が発達している古都。日本でいう京都的存在。

中心となるTugu駅から王宮までの大通りには食べ物の屋台warung(ワルン)や染め物Batik(バティック)の店が所狭しと並びます。
インドネシア人は基本的に自分で料理をせず、食事はお手伝いさんを雇うかワルンで購入して済ませる場合がほとんど。ワルンの店主は出稼ぎの人も多いです。
私たちも早速ワルンで朝食を。



はじめてのインドネシア料理にテンションがあがる
この頃はまだ衛生面を気にして自前のフォークを使っていました。

さて、インドネシアの交通機関といえば車とバイク(とそれらによる最悪の渋滞)が有名ですが、ここジョグジャカルタでは馬車やBecak(ベチャッ)と呼ばれる自転車・バイクタクシーもまだまだ現役。決して観光者向けというわけでもありません。
交通量の多い道で徒歩は厳しい
王宮の南広場では毎日何かしらの伝統芸能が上演されており、この日はWayang Kerit(ワヤン・クリッ)とよばれる影絵人形劇が行われていました。
オモテ
ウラ
ウラから見ると、人形に色付けがされていたり、伝統的な民族楽器ガムランのオーケストラが並んでいることに気が付きます。影絵は当然オモテから鑑賞するものですが、インドネシアの影絵はこのようにウラから見ても楽しめるようになっているのです。

王宮内の一部は博物館にもなっており、歴代スルタンの使用した家具や肖像画などが展示されています。
これは何かの会議中
王宮を後にしようとしたその時、ひとりのおじさんに捕まりました。
「アキシノノミヤサマモキタ!コーヒーノミマセンカ?」
日本語で話しかけられ、振り切ることもできないままなんとなく連いていくと、到着したのはなんとkopi Luwak(ジャコウ猫コーヒー)のお店。

日本だと1杯5000円はくだらない、世界一希少価値の高いコーヒーです。
店内まで入れられて何も注文しないで帰るわけにもいかず、4人で1杯だけ注文しました。
お値段75000ルピア。日本円で600円ほど。まあ、お得ではあるんですけどね・・・
日本語で話しかけてくる奴には要注意(海外での常識)
コイツの体内で発酵されて糞とともに出てくるコーヒー豆
はめられた悔しさに唇を噛みつつ、初めて口にしたルアックコーヒー。
ブラックでもあっさりしていて飲みやすかったです。
渋谷さんごちです!
次に向かったのはTaman Sari(タマン・サリ)。
水の宮殿とも呼ばれるこの場所では、かつて王様が美女達の水浴びを眺めてその日一緒に過ごす女性を選んだとかなんとか。ケチって中には入りませんでした。



昼食を適当に済ませ、駅まで戻ってタクシーを捕まえ、空港へ。
タクシーを降りると、、
黒くなった渋谷さん
ではなく、この赤パーカは私が去年お世話になったGadjah Mada(ガジャ・マダ)大学の学生。私がジョグジャにいると知ってわざわざ会いに来てくれたのです。感動の再会!(個人的な話ですみません)

懐かしいひと時も束の間、急いでチェックインを済ませ、SIMを購入することに。

しかしここで思わぬハプニングが。
Apple IDのパスワードをど忘れした川本さんはスマホを起動できず・・・

そのまま搭乗。スラウェシ島のマカッサルまで約2時間のフライト。

機内で悶々としていた先輩。マカッサルに着くまでになんとかパスワードを思い出し、無事スマホが使えるようになりました。一安心。

マカッサルのスルタン・ハヌサディン空港を出たのは夜7時過ぎ。もう日が暮れていたので市内散策は諦め、予約していた空港内ホテルで一泊。本場の「インドネシア1美味い海の幸」はおあずけです。
空港で食べたマカッサル料理sop konro


【3日目】Makassar~Maumere(フローレス島)~Sikka~Moni

朝3時起き。
朝一番のフライトで今回最大の目的地、フローレス島へと向かいます。

このときトランス・ヌサ航空という『地球の歩き方』で酷評を受ける航空会社を利用したのですが、なんと、誰も予想だにしなかった機内食が運ばれてきたのです。

ジャム入りコッペパンと水というなんともシンプルな軽食ですが、これまでLCCしか利用してこなかった私たちはそれだけで感動。手を付けていいのか迷ってしまったほどでした。見直したよトランス・ヌサ航空。
はじめてのプロペラ機
マカッサルからフローレス島東部の中心地マウメレまで約1時間半のフライト。
飛行機を降りると、そこに広がっていた景色はこれまでと全く違う、インドネシアのサバンナ。


サバンナっぽさはない写真
東南アジアの島嶼国であるインドネシアは熱帯のイメージだけが先行しがちですが、生物学的にはオーストラリア圏に属するフローレス島の気候区分は熱帯サバナ気候であり、特に東に行くほど乾燥した気候となります。

荷物を受け取ってごそごそ整理していると、いつのまにか4,5人のいかつめの男に囲まれていました。ただのタクシーの運ちゃんかと思いきや、彼らは客引きのプロ。巧みな英語で紹介されたのは5泊6日フローレス島縦断ツアー。
・・・・・
もちろん断ろうとしたのですが、フローレス島到着直後でまだ何の情報もなかった私たち。
「1日だけ、それ以降はいらない」と交渉して1日だけお世話になることにしました。

サングラスをかけるとただのヤクザにしか見えない運転手のMisaに連れられ、まずはパーム油から作る酒arakの製造過程を見学させてもらうことに。
しかしこの日は日曜日。休日。
それでも蒸留装置だけは見せてくれました。



見学を終えて車に戻る途中、道端で果物が売られているのを見つけた川本さんは早速バナナを購入。
インドネシアののバナナは小ぶり?
次に、この日一番の目的であるikat(イカット)の製造過程を見学しにシッカ村へ。
村に到着後、まずは海を見てろと言われ、サンゴ礁の磯遊びを。



村長さん家に案内していただき、ようやくikatの製作過程が見られるのかと思いきや、村長夫人が運んできたのはいくつかの完成品。それらのikatの種類や染料についての説明を受けていると、いつのまにか商談が始まっていました。


1枚300000ルピアから始まり、必死に値段交渉を試みるも「これは天然ものだから」となかなか値段を下げてくれません。このままでは先に進めないと腹をくくった川本さん。250000ルピアで妥協して購入。


*ちなみにおおよそのルピア→円換算は、ゼロを2つ消してを4分の3。

あれ?製作過程は?と疑問が頭に残ったまま、次に案内されたのはカトリック教会。
しかしすぐには中に入れてもらえず、入り口付近で待機させられる私たち。教会の前で大人しく座り込む外国人をシッカ村の人々はこれでもかというほど不審な目でこちらを見てきます。

この雰囲気に耐えられなくなった私はふと折り紙の存在を思い出し、駒と手裏剣を取り出して近くの子どもに話しかけに行きました。
すると、急にインドネシア語を喋りだした外国人に驚いたのか、折り紙に興味を持ってくれたのか、30人近くの子どもたちが近寄ってきてくれました。
すると先輩方が気を利かせて新しい折り紙を持ってきてくれ、みんなでオリガミ国際交流のはじまりはじまり~



言葉は通じなくとも、身振り手振りで鶴や舟など日本の折り紙文化を伝えることができました。(どこのボランティア団体やねん)

後ほど発覚したのですが、実はこの日はSelamat Baru(スラマッ・バル)。年に一度の「初聖体」を祝う日でした。「初聖体」とは幼児洗礼を受けた子どもたちがカトリックの教えを勉強した後に初めて聖餐式に参加するというもの。10歳前後の子どもが対象で、男の子はスーツやタキシード、女の子は白いドレスを着て式に臨みます。薄汚い恰好しかしていなかった私たちはなんだか申し訳なさを感じたのでした。
中はとてもきれい

後ろではオリガミ
どうりで長いこと待たされたわけや。

教会内をちらっと見学したあと、広場に呼ばれてようやくikatの製作過程を見学させてもらえました。天然ものは完成まで3年かかるらしく、相当な時間と労力が必要であることを目で見て感じました。


少し体験。綿をたたいてほぐす。
車に戻って、レストランへ。
海岸沿いの道に突然現れたその店は目立つ看板も無く、食事場所は砂浜の上に置かれた机と椅子。

nasi campur ikan(魚が混ぜられたごはん?)
昼食後はそのまま翌日のクリムトゥ山トレッキングの拠点となるモニ村のゲストハウスへ直行。この時まだ昼の2時。1日雇ったはずやのに、早すぎん?

仕方がないので暇つぶしにjalan-jalan(じゃらんじゃらん≒散歩)

滝の前で尺八の練習をする渋谷さん
夕食の後は翌日に備えて早めに就寝しました。


蚊帳付き



【4日目】Moni~Kelimutu~Pemo~Ende

朝4時半?からトラックの荷台に揺られ、クリムトゥ山の登山口へ。高地のため長袖を着ていても寒く、じっと耐えていました。
途中で入山料を支払い、登山口からは完全に整備された道を20分ほど?歩くだけ。
日の出に間に合うようダッシュ!したら私は途中で思いきり足をぐねりました。

クリムトゥ山は山麓に住むモニ人にとって神聖な山。死後、魂はクリムトゥ山に還っていくと信じられています。

山頂からは3色の火口湖を見ることができ、それぞれ深緑色のTiwu Ata Mbupu(老人の霊の行く湖)、青緑色のTiwu Nuwa Muri Koo Fai(若い男女の霊の行く湖)、黒色のTiwu Ata Polo(罪人の霊の行く湖)と呼ばれています。しかも色は定期的に変化するそう。




山頂。西洋人でいっぱい。
なぜ同じ火山なのに湖の水の色が異なるのか、なぜその色は定期的に変化するのか。
火山ガスや湖に含まれる鉱物の違いから異なる化学反応が起こっているという説が一般的ですが、正確なことはまだ解明されていないそうです。

そういえば日の出には余裕で間に合いましたが、この日は雲が出ていてギリ単位が出るくらいの美しさだったので省きます。


ここでも尺八


満足したら、帰りは自力で下山。本当は行きも歩いて行こうとしたのですが、地元の方に遠いし危ないからやめとけと説得されたのでした。

コンクリートの道をしばらく進むと、"ペモ村行きトレッキングコース"と書かれた看板が。
これは行くしかない!
スニーカーだけどずんずんずん。


2.5kmほど下ってようやく集落が現れました。
ペモ村の人々にとって外国人は珍しい存在。しかもそれが日本人となるとなおさら。
でもこの村の人はみな愛想よく挨拶してくれ、シッカ村よりも良い印象を受けました。

しばらくするとカトリックの小学校が。
児童たちがじっとこちらを見て、「中国人?」と聞いてきます。
「日本人!」と返事して少しだけお喋りして立ち去ろうとしたのですが、なにか心に引っかかるものが。



小学校に引き返し、
「彼は日本の笛を持っているんだ。披露してもいい?」

「もののけ姫」のテーマを演奏
ついには先生まで外に出てきて、
「日本の笛はインドネシアのものと似ている。よかったら見学していきませんか?」と。
なんと嬉しいお誘いではありませんか。
音楽教師のYustina Lawi先生とインドネシアの笛suling(スリン)
木琴dhou dhaと太鼓gendangを演奏してくれた
歌、さらには踊りも
授業時間にお邪魔してすみません。
子どもの可愛さは万国共通ですね。癒されました。

小学校を後にして向かったのは教会とモスク ⁉⁉⁉

少しまじめな話。インドネシアには国教としてイスラム教・キリスト教(カトリック/プロテスタント)・ヒンドゥー教・仏教・儒教の6つが定められており、国民は必ずどれかひとつの宗教を信仰しなければなりません。
世界一のムスリム人口を抱えるインドネシアですが、ここフローレス島では人口の85%がカトリック教徒。見た感じペモ村でも大多数の人がカトリック教徒ですが、一部ジャワ島から移住してきた人がイスラム教を信仰し、モスクを利用しているようです。
さすがは多民族国家インドネシア。小さな村でも宗教は共存しているんやなあと。


村の外れまで来たとき、どこからかリズムを奏でる音が。近づいてみると一人のおじさんがdhou dhaを弾いていました。

弾かせてくれるって言ったのに結局弾かせてもらえなかった
少しお喋りしたあと、「コーヒー飲む?」

dhou dhaは客寄せでした。それにまんまと引っかかるカモ日本人。
ただ、歩き疲れていた体にコーヒーは染みました。
衛生面的には不安しか残らない
値段もややぼられました。
しかも立ち去ろうとすると写真をせがまれ・・・
セクハラ
このあと全員でも写真を撮りました。が、私と川本さんは最後にハグも求められました。
トレッキング最後の最後に苦い思い出。

村を抜け、またひたすら歩き、ようやくゲストハウスに戻ってきたのは11時頃。疲れたあ。

12時のチャーター車を頼み、市場で昼食を食べようとするもそのような店は見つからず。
代わりにマンゴーを丸かじりする女の子に魅せられてマンゴー購入。
その場で剥いてくれた
その後村の若者が集っていたレストランに入るも、注文しないまま蒸した芋が渡される。


もう米がなくなってしまったから、代わりにこれを食べてという優しさでした。
お金も請求されず、「もう行くぞ!」というドライバーの声で予定より30分早くモニを発つ。優しい人もいるんだなあ。

次に向かうはエンデ。
ここでブログも鍬田さんにバトンタッチします。

ここまで読んでいただいてありがとうございました。
トップバッターとして、インドネシア語専攻として、インドネシアの基本情報をいっぱい詰め込んだつもりです。あとは先輩たちが面白くしてくれるはず。。
まだまだ続きますが、どうぞ最後まで読んでもらえると幸いです。
Sampai jempa !