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2025年3月16日日曜日

廃線廃道探索① 愛宕山鉄道鋼索線跡

新ジャンル、廃線廃道探索

こんにちは。阪大探検部一の(いや唯一の?)廃土木構造物マニアであり64期副主務の國部です。突然ですが皆さんは廃線、廃道と聞いて即座にどんなイメージが湧くでしょうか。普通の人からすれば、廃れた鉄道や道路…何それ?という感じだと思います。我々が普段歩いている歩道、車に乗って移動している車道、電車に乗って通勤通学している鉄道は決して土砂に埋もれたり崩れたりしないし、「廃れる」という概念がそもそも無いかもしれません。しかしそれはそれら交通インフラの重要度が高く、絶え間なく人の手を加えて維持されている都市部での話。人口減少の著しい特に山間部には、人の手が長きにわたって加えられず、今この瞬間も崩落し朽ちていく交通路が数えきれないほど存在しているのです。本記事のタイトルにもなっている「廃線廃道探索」では、打ち棄てられ人々から忘れ去られた古の交通路を辿り、踏破して達成感を味わうとともに歴史的な好奇心を満たすことを目的として活動します。

愛宕山鉄道鋼索線とは(企画書より)

今回の探索目標に選んだ愛宕山鉄道鋼索線は、かつて京都市右京区の愛宕山東側斜面に存在していたケーブルカー。京阪電気鉄道と京都電燈(のちの関西電力)が共同出資して設立された愛宕山鉄道により1929年に開業した。麓の清瀧川駅と山頂付近の愛宕駅との高低差638.38mを水平距離2.13kmで結び、当時としてはかなり大規模で先進的なケーブルカーであったが、1944年に戦況の悪化また金属供出の対象になってしまったことなどにより廃止された。

※現役当時の写真はネットで探せば出てきます。興味のある方は是非。

集合、平坦線を歩く

西宮市の武田尾廃線敷(国鉄福知山線旧線)を歩くような企画は以前にも開催されていますが、より世に知られていないような場所を探し探索するという点で、これまでこの部には無かったジャンルだと考えられます。新ジャンル開拓!と銘打って掲示板に募集をかけたところ、想像以上の人数が集まりました。そうして2024年12月21日朝、JR嵯峨嵐山駅に集合した総勢10名の探検部一行は、京都市右京区清滝へ向かいました。

8:56
駅を出てから山に入るまで、しばらくはこんな感じの面白くない道です。しかしマニアにはこんな道がもの凄く怪しく感じます。何を隠そう、これは愛宕山鉄道のもう一つの路線、「平坦線」の軌道跡です。平坦線の話までしだすと収拾がつかなくなるので今回は割愛します。
9:11
山に入っていきます。ここまでくると、鉄道にはちょっと酷そうな勾配です。



9:31
車に怯えながらえっちらおっちら登り、清滝隧道に着きました。かつての鉄道トンネルらしい馬蹄形断面です。体力的には平坦なトンネルを進みたいところですが、狭く歩行には危険なため右の坂を上がり峠を越えます。



9:31
右の坂道は地味ながらめちゃくちゃ謂れのある峠。こころみとうげ。






9:38
非常に深い切通し。





9:39
峠の丁度サミットの地点に、擁壁から水平に生えたカーブミラーが。一同盛り上がって写真撮影。やはり探検部。







いざ、軌道跡の探索へ

10:02
道中何かと面白いものが多く、あっという間に清滝に着きました。ここで小休止を挟んでからいよいよ軌道跡を登って行きます。
まずは麓の清瀧川駅跡。中に入ればホームの跡などが残っているそうですが私有地っぽいので看板を撮るにとどめます。


10:03
私有地を迂回して軌道跡にアプローチするため、少し脇道に逸れます。すると猫に会えた。ニャーン






10:07
猫に癒されたのち、程なくして軌道跡が出現しました。苔にびっしりと覆われた空石積が月日を感じさせます。






10:13
ここで本格的に探索開始。本来はケーブルを張る溝と階段が両側にあったはずの斜面ですが、土砂と落ち葉にかなり覆われています。






10:23
まもなくひとつ目、第一号隧道です。
洞内の薄暗さも相まってかなり探検気分が高揚してきました。















10:26
第一号隧道は貫通しているものの山頂方の坑口で擁壁が激しく崩れています。あと10年もすれば塞がるかも。






10:29
続いて第二号隧道。こちらも貫通。







10:31
土圧で右側の側壁が膨れ上がっており、貫通しているもののとても健全とは言い難い状況です。





10:34
ここで立派な橋梁が現れます。第二号橋梁です。(一号は通過済み、撮影忘れ。。)
こんな場所にこんな立派なRC橋があるのはやはり異様ですね。




10:44
ここで本日初めての閉塞した隧道が現れます。第三号隧道です。
探検部なので素通りせず、部長の今岡くん自ら閉塞点の確認に向かいます。それにしても斜度が凄い。




11:07
第三号隧道の反対側に迂回してきました。こちらの隧道はかなり長く、カーブしているためここから閉塞点を照らすことはできません。奈落の底へ続いていそうなおどろおどろしい穴です。












11:12
線路は続くよ、どこまでも。







11:18
続いて第四号隧道。同じようなトンネルばっか見せやがって、という声が参加者からも出始めた頃ですが、よく見て下さい。向こう側の断面がちょっと違いますよね?




11:20
このように山頂方の坑口は幅広くなっています。






11:22
というのも実はここ、上から来た車両と下から来た車両を離合させるための行き違いスペースだったのです。ここを、乗客でいっぱいの2両のスイス製ケーブルカーがすれ違っていた往時の風景を想像するとグッとくるものがあります。


11:23
枝をライフルに変えてしまう会計N先輩。目が完全に狙撃手のそれ。









11:45
続いて第五号隧道です(撮影忘れ)。どう見ても閉塞していたので早々に高巻きが決定しました。幸い右側に伸びる尾根沿いにルートがあるらしく我々はそちらに進みましたが…
この高巻きが実に凶悪。バリ山行に来たんじゃねぇよと吐き捨てたくなる悪路がしばらく継続。まあ楽しかったからOKではありますが、一同かなり体力を削られたようです。

11:47
この木の板、親切なフリして全然役に立ってくれませんでした。






12:15
高巻きという苦難を乗り越えようやく第五号隧道山頂方の坑口に到達。喜びも一入。














12:21
ここからあともう少し。みな体力があるので疲れてもさほどペースは落ちません。。






12:25
隧道大好きマンの企画者ですらもう見飽きてきたこのポータル。早く駅に着かせてくれ。






12:30
しかし隧道を抜けるとちょっとしたサプライズが。雪です。橋の上は風冷えしやすいからか、残雪がありました。足元に注意して進みます。(ここでチェーンスパイク勢は無双、全能状態で坂を自由に駆け回った。)



13:04
ここでやっとゴールの愛宕駅跡に到着。廃墟ではありますが軌道跡を辿ってきた我々を出迎えてくれるには十分すぎる建物です。






美しい廃景。

13:07
この駅舎を「駅」として利用しに来る人は、もう百年近く前からいない。廃れた歴史の証人として会いに来る物好きが少し居るのみ。





内部は思っていたより広く、寂しい。








この建物が風よけになりそうだったのと座りやすい台があったことからここで遅めの昼食会を行いました。楽しい時間です。















下山
14:31
日没も迫りつつあったため足早に下山します。愛宕山は平たく水平の広がりがそこそこ大きいので、低山だと思って舐めていると普通に真っ暗になります。(そういう遭難事案が毎年のように発生。。)



16:05
全員無事に下山!ゴールのJR保津峡駅にて記念撮影。

通りすがりのおばちゃんに撮影をお願いしました。ありがとうございます。

まとめ
非常に長たらしい記事になってしまいましたが、今回探索した遺構は現在進行形で風化しているものであり、数年もすれば大きく状況が変わってもおかしくないようなものばかりです。そのためより多くの写真を交えた記録をネット上にも残しておくべきとの思いからこのような形で紹介させていただいた次第です。参加者からは楽しかったとの意見が大半であったことから、新ジャンルの開拓というこの企画の大きな目的は達成されたと考えられます。大阪大学探検部では「廃線廃道探索」企画を今後も継続し、ご報告します。乞うご期待。

おわり