海軍元帥大久保優人
六日目
双六小屋幕営場。
湿った天幕で目を覚ます。昨日の夜からはましになったが、まだ雨は降り続いていた。前室に置いておいた食器類は雨粒の跳ね返りのせいで砂まみれだ。
朝食の乾麺を掻き込み、濡れて重くなった天幕をルックザックの中にしまう。
渡村陸軍元帥は夜間、天幕の生活環境が低下する、とモント・ベル 探検背嚢 百 を外に放置していたが、漏水して中が全て濡れているとぼやいていた。
すでに濡れた雨合羽を羽織り、登山道に向かう。小屋で今日の天気を確認し、外に出た。もっとも、下界の天気予報しか見ることができないため気休めにしかならないのだが。小屋番の娘に満面の笑みで「行ってらっしゃい」と言われる。しかし私たちにはそれと同じ笑顔で返事をする元気はすでに、ない。すべてはこの天気のせいである。恨みつらみ妬み嫉みを一歩一歩に込めて踏み潰し、私たちは西鎌尾根に入った。私の機嫌は恐ろしく悪く、ここの辺りで言葉を発した記憶がない。おそらく他の隊員は感じていただろう。今大久保に余計な事をするとぶちギレられてぶん殴られるだろう、と。もしくは三人も私と同じ感情を抱いてたのではないか。きっとこの天気で気分の良い者はいなかったはずだ。
体にまとわりつくガスが私たちの足取りを重くする。今日の目的地は槍ヶ岳山荘だ。できれば上高地近くまで下りておきたいが、このまま進めば上で一泊は免れそうにない。
あれこれ考えながら、こうするしか気を紛らわす方法がなかったのだが、歩いていると刹那視界が明るくなった。何か、と顔を上げると上に晴れ間が見えるではないか。久方ぶりの青色に昂揚する。昨日の水晶岳山頂で拝んだ晴れ間ははるか昔のことのようである。
しかし、今日のそれは厚い雲に覆われた空がほんの一部開けたに過ぎなかった。私たちは知っていた。どれだけ空に拝んでも、どれだけ山を愛しても、この山行が晴れることはないのだということを。これまでの五日間何度期待し、何度裏切られたか。黒部源流で川に落とした山への信頼はとうの昔に日本海にたどりついていることだろう。
だが、今日は違った。針の穴ほどの晴れ間はどんどん広がり西鎌尾根の南西側がすべて晴れわたった。太陽よ、神よ、太陽神よ。私はこの瞬間に古代エジプトまで自らの魂を飛ばし、かの隼頭太陽神ラーに跪き、足を舐め、一生信仰することを誓ったのだ。
福元はニヤリと笑い、渡村は杖を空に突き上げた。遠くには笠ヶ岳が見え私たちが北アルプスに、まさに、存在していることを実感する。周囲の展望がないと、「ここはただの坂道なのであって、実はアルプスにも山にも来ていないんじゃないか」という気持ちになることが往々にしてある。
話は逸れるが、自分が山に来ていることを確実に理解できるのは、辺りの景色があってこそだ。外から見ればその山は視覚的ほぼ間違いなく「山」として存在しているのだが、登っているときにはそれが山なのかどうか私たちはわからない。言葉をもって初めて世界は実体化される、とはよく言われることだ。つまり、外からそれを見た人によって名前が与えられて初めて、山は山として存在するということだ。しかし、私からすれば山においては、言葉「と景色」が山へ入る者の世界を作り出している。地図や全地球測位機などを使用した際の地点名によって認識することはできるが、それはあくまで人が後から付けた「言葉」であって絶対的な指標ではないのである。そこに視覚で捉えうる「景色」が広がり二つが合わさってようやく私たちは「山に登っている」ことができるのだ。
そんなことはどうでもいい。とにかく青空が見えるのだ。雲の動きは早く、ときたま私たちを覆うものの、最終目標槍ヶ岳への道のりは確かに明るかった。自然と歩調が早まる。瀬野空軍中将が何度か休憩を求めたが、聞こえないふりをするか、厳しく励ました。いつものことではあるのだが、「もうすぐ小屋に着く」などと特に確信のないことを言ってみたりもする。西鎌尾根の鋭い稜線を歩き、鎖場を超えじわじわと上がる標高に昂揚感が増してくる。途中、鎖場で後続隊員を待っている際に「今朝双六小屋を出て槍の山頂を取った。これから三俣山荘から黒部五郎を通って折立に下山する」と言う青年とすれ違った。驚くべき彼の予定よりも私の頭に残ったのは「槍の山頂は晴れていた」という言葉だった。だが、尾根の正面に見えるはずの三千百八十米の頂は、薄い雲が代る代るその姿を隠し、私たちを焦らし続けていた。遠くの緑と南の青空を燃料に歩を進める。いつの間にか森林限界を超え、厳つい岩のいたるところに、ペンキでべっとりと書かれた槍ヶ岳山荘の文字と登山道を示す矢印がみられるようになった。
小屋が見えてからは早かった。左手に槍の穂先、右手に小屋、正面には上高地に続く急斜面が控えている。小屋横の机に荷物を投げ置き、しばし体を休める。ついでにルックザックの中身も放り出しここぞとばかりに乾かす。天幕、雨合羽、濡れた服から食器類まで、今日の天幕環境をどれだけよくできるかはこの時間にかかっているといっても過言ではない。その間に小屋に入って下界への土産を漁る。小屋番の青年は少し面倒そうな顔で私たちの相手をする。渡村陸軍元帥は満を持してシャツを獲得していた。私は郷の両親への絵葉書を購入した。小屋前で穂先を眺めながら簡易椅子に腰かけ書く手紙には感慨深いものがある。
ひと段落着いたところで山頂に向かう。この戦線で最も危険な個所の一つである。慎重に岩をつかみ、梯子を上りついに午前十時、私たちは今戦線最後の山、槍ヶ岳の山頂に立った。二千八百米ほどの高度にたまった雲を見下ろして槍は確かに晴れていた。私たちは帝国旗を広げ、縦走戦線の作戦成功と北アルプスの占領を宣言した。隊員各々感傷に浸り、私は今戦線の精神安定剤であったコークを喉に流し込んだ。特別喉が渇いていたわけではないのだが、これを飲まないと終わった気がしないのだ。何か依存性の高い薬物でも含まれているのだろうか。しばし山頂を楽しんで小屋に下る。
装備を存分に乾かしたので上高地に向かう。午前十一時、今日の目的地は横尾山荘に決まった。「安い、安い飯だねえ!学生以来こんなの食べてないからね!」と即席麺をむさぼる老いた我が帝国民を横目に見ながら下山を始める。まだところどころに雪渓が残っていた。先ほどまでは私がその神の靴を舐める勢いであった太陽も、主張が強すぎると厄介だ。雪解け水をかぶって体を冷やし歩を進める。時々後ろを振り返って、つい先ほどまで立っていた槍の穂先を、そして彼の後ろに隠れているアルプスの山々を想った。
午後三時、横尾山荘着。私は初めて上高地の防衛範囲内の小屋を訪れたのだが、その大きさと清潔さに思わず声を張ってしまった。受付の娘は、私たちが外で騒いでいるのを聞いていたのか、くすっと笑って幕営場の説明をしてくれた。
幕営場の横では槍の麓の雪渓から溶けて出た水が梓川となって音を立てていた。天幕を張り、水浴びに出る。渡村元帥は一日一本と決めていた最後の煙草をうまそうに吸っている。スゴ乗越小屋で小屋番が吸っている煙草を恨めしそうに見ていた彼がすでに懐かしい。
最後の晩は食料を食べつくした。渡村元帥の個人非常食からも多くが提供され、その様子は彼の郷の母に写真で送られた。天幕の中は暑くて寝られなかったため、私の無線機器の一機能「あまぞんぷらいむ」の中から『任務不可能-落下-』の鑑賞会が行われた。気づくと眠りの中にいた。
七日目 横尾山荘
午前七時、暑くて目が覚める。天幕での最後の食事を済ませ、軽くなったルックザックを背負い出発する。梓川に沿って歩き間もなく上高地に到着した。七日ぶりの温かいお湯につかり体中の垢をこそげ落とす。陸軍元帥は風呂から出た後の売店での食欲の解放の計画を入念に立てている。福元衛生旅団長は自由に伸び切ったしつこいひげをそるのに必死だ。瀬野空軍中将は、わからない。
バス乗り場へ向かう。上高地という土地はあまりに観光地化が進みすぎていて、長期の縦走を終える場所にはどうも向いていないようである。大きなルックザックを背負った私たちには少し居心地が悪く、白い目で私たちを見る人々もいなくはなかった。金も体力もないので土産の試食を食べて回る貧乏学生を演じるしかやることがない。便所には、銭湯の番台よろしく協力金支払監視婆が控えており窮屈だ。最も、福元は婆の目をかいくぐって用を足すことに楽しみを見出していたようだが。
靴を洗い、杖を洗い、バスが来た。
私たちは阪急三番街行アルピコ交通さわやか信州号に乗り込み大阪への帰路に就いた。
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西鎌尾根 晴れ間 |
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同上 |
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元帥 同上 |
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雪渓 |
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ぐへへ |
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西鎌尾根 鎖場 |
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槍ヶ岳山荘 |
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ゴミ箱? |
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家? |
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同棲してるん |
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山頂へ |
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マグm...空軍中将 |
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信大ワンダーフォーゲル部 |
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占領宣言 |
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山荘 |
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何だ |
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小さくなったルックザック |
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横尾山荘 |
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横尾山荘 |
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梓川 |
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晩餐 |
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横尾基地 |
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ウヰスキーのとも |
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元帥の飯を食らう 牛肉の赤ワイン煮込み |
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上高地 |
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Mの地 |
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弱火でじっくり焼き上げた |
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雲 |
2019年10月24日 第一刷発行
著者 大久保優人 瀬野加奈子 福元稜雲 渡村真生
発行者 大久保優人
発行所 大阪大学探検部
〒560-0043 大阪府豊中市待兼山町1-10 明道館BOX23
探検部55期 大塚ごうき、大塚りょうや、竹野はるな、三氏に敬意を表して