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2025年10月10日金曜日

まったり回生企画・摩耶山トゥエンティクロス【65期】

  はじめまして!65期の森と申します。

 さて、去る9月28日(日)に、65期はじめての回生企画として、六甲山系・摩耶山へ登ってきました!

 過去何度も企画が立てられてきた摩耶山。せっかくなので、探検部にとって未踏のコースを辿ってみようと考え、企画フォルダやブログを漁った結果、今回は「トゥエンティクロス」というコースで登ることに。沢登りではなく、むしろ初心者にやさしい一般登山道ですが、幾多の渡渉を繰り返しながら、生田川を源流まで遡る『完全遡行』チックなことができるという、ユニークなコースです。


布引雄滝
ロープの使い方次第では、もしかしたら登攀できるかも?
(それ以前に規制に引っ掛かりそうだが)
 朝8時半に新神戸駅集合。探検部にしては珍しく(?)、なんと遅刻者ゼロという上々の滑り出し(なお1名、駅のコンコースで物理的に滑って負傷スタートの人がいたらしいですが……)。夕方から雨の予報だったこともあり、計画からなるべく遅延させたくなかったので、企画者としては本当にありがたい限りでした。

 登山道に入ると長い階段を登り、まず初めに現れるのが、落差43mの布引雄滝。それを見た参加者の感想は、「この滝登れるんかな?」でした。これだけ大きな滝を見て圧倒されるのではなく、どう登るかという発想になるあたり、65期の面々は、早くも探検中毒になりつつあるようです。



 

 新神戸駅から2㎞、市ヶ原を過ぎ、トゥエンティクロスに入ると、あれだけ多くの人が行き交っていた登山道も一気に静かに。緩やかに高度を上げながら、生田川を何度も渡っていきます(現在は治山事業が進められ、渡渉点が少なくなっていますが、かつては本当に20地点あったそうです)。この日は気候も快適で、皆でおしゃべりしながら、どんどん六甲山系の奥地へと歩を進めます。中には壮大な企画のアイデアを語っている人もいたので、今後の実現に期待ですね。

河童橋を渡るB班
しっぽの青いトカゲ発見!
A班の面々



 


立ち枯れた木々


渡渉点でひと休み




 

飛び石のようになっているので
渡渉もゆる~く楽しめた









 



 

 新神戸駅から3時間半余り歩くと、生田川の源流・穂高湖に達します。ゆっくり登っていたはずなのに、この時点で計画から30分程度巻いていたので、湖畔のピークであるシェール槍に立ち寄ることに。槍・穂高と聞くと上高地を連想しますが、その名の通り、風景が上高地に似ていることから名づけられたようです(全然似ていない気もしますが)。

 ちなみに、シェール槍の「シェール」というのは、1910年代にこの山によく登っていたドイツ人の名前だそう。六甲山系には、他にもアゴニー坂やカスケードバレイなど、横文字の地名が多く存在しますが、これらは幕末の開港以降、神戸に住まい、日本に西洋の登山文化を持ち込んだ外国人が名付けたもの。「名は体を表す」といいますが、山岳地名にも、その山の地形の様子や、歴史・文化の蓄積がよく表れるので、「なぜそんな名前なのか?」と考えながら登ってみるのも面白いのです。

 ……という、地歴オタクの主張はさておき、シェール槍へはちょっとした岩場を登ります。山頂が狭いので、少人数に分かれ、交代しながら登っているうちに、最大30分巻いていたのが、逆に30分の遅延になってしまいました。これから雨が降るというのに、これはマズい。少し急ぎ足で先へ向かいます。

先に登頂したA班
シェール槍へは岩場の急登
後ろには穂高湖が見える



 



B班のうち後発隊3名
A班から3,40分遅れての登頂
早く登り終えたA班は、
穂高湖畔のカフェでまったり
羨ましいなぁ……(by B班)


奥に見えるのは鈴蘭台の住宅街


 














 

 

 15時。計画から20分程度遅れて摩耶山掬星台に到着。掬星台から眺める神戸・阪神間の風景は、日本三大夜景にも数えられますが、昼間の景色も十分絶景です(少し霞がかっていましたが)。遠くにはあべのハルカスや、いつの間にかカルト的人気となっているらしい赤い腸ミャクミャクの根城も見えました。

 さて、ここでお待ちかねの昼食です。クッカーとアミカスで調理する人もいれば、持ってきたリンゴにかじりつく人も。中には「魔改造カップヌードル・シーフード 明太海鮮もんじゃ味」という、名前の情報量が多すぎる商品を食べている人もいました(本人曰く、めっちゃおいしかったらしい)。

掬星台にて、集合写真

阪神間の街並み
あいにくの曇天……
みんなでランチタイム











神戸港方面
赤い塔がポートタワー












 



 その後は本当の摩耶山頂を経て、遅れを取り戻しながら上野道を下り、何とか雨が本降りになる前にゴール地点の阪急王子公園駅に到着。解散後は温泉に行く人もいれば、石橋に戻って部室で食事会をする人も。皆思い思いの時間を過ごしました(なお当の企画者は前日夜遅くまでバイトで疲れていたので、家に直帰して爆睡しました)。

下山中の一枚
摩耶山頂の三等三角点
本当の山頂はとにかく地味

 








 拙い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。今後もブログの執筆は続けていくつもりです。脱線しがちで長文の記事になることが多いかと思いますが、どうか温かい目で読んでいただきますよう、よろしくお願いいたします。

 また、65期には、先輩方に負けないくらいの、探検への強い情熱を持った、個性的なメンバーが揃っています。これから、バリエーション豊かな、時には“ぶっ飛んだ”挑戦が数多く行われることになるでしょう。今後の65期の活動にも、ぜひご注目ください!

2025年6月24日火曜日

日本最長!信濃川ダウンリバー 

ep.1 旅が始まる!

さあ!いこう!


4/30 旅立ちの時


とうとう出発の日がやってきた。
僕(今岡)と有末はカヤックへの情熱とまだ見ぬ信濃への思いが最高潮に高まっていた。

出発は梅田のバスターミナル夜10時ごろの長岡駅行のバスである。

ひとり8000円

まずこの日、部室にて6時ごろ落ち合った僕たちはたまたまそこにいた中邨とともに出発前の腹ごしらえに向かった。
3人はとんかつを食べに松のやへ。勝負の前はとんかつと相場が決まっている。まあでも実際別に勝負しにいくわけでもない、ただ松のやが安いというそれだけの理由で松のやが選ばれただけだ。

とんかつを食べながらこの旅への思い(主に不安)を語り合いながら、カツを食べた。白ご飯が食べ放題ではあるがここで食べすぎては夜行バスでお腹が心配なので抑えめに食べることにした。だいぶん先を見据えて行動ができるようになってきたものだ。

とんかつを食べきり、中邨に見送られ、僕と有末は阪急宝塚線で石橋から梅田へ。
梅田スカイビルの1階からバスはでるそうなので阪急梅田から10分ほど歩いて向かう。
再開発が進み綺麗になったあたりを歩いて抜けていく、自分たちのほかにも大勢同じ方向に向かう人がいた。

マツダのショールーム、かっこいいね

都会のバスターミナルは大抵そうだが、ここのターミナルの待合席もやはり人で埋まっていた。みんな早めに来て自分の予約したバスを逃さないように必死なのだろう、僕たちは建物の外のベンチで時間をつぶすことにした。

こいのぼりが夜の梅田を泳ぐ

出発の時間がやってきた。運転手に僕たちの大きなザックを荷室に入れてもらい座席へ向かう。
隣の席が見知った人間の高速バスは気楽に乗れていいものだ。いつにもましてぐっすり寝られる気がする。(いびきもあんまり気にしなくていい)

夜行バスなので出発早々電気も消され、僕も常備しているアイマスクと耳栓を装着してさっさと寝た。近頃は特技といっていいほどどこでもすぐに寝られるようになってきた。野宿だってどこでもできるし僕にはもう宿はいらないと思う。

旅の出発には色々なことを考えるものだ、例えば現地の景色を想像したり、どんなご飯があるか考えたり。けれど僕の睡眠力のまえではそんな旅の趣もへったくれもない、気づいたら寝てしまって朝が来ているからである。ということですぐに朝が来てそこは長岡であった。


5/1 長岡到着

長岡駅前!バス降車!

朝6時過ぎ、バスからおりたらそこは長岡駅前の商店街。朝早いからどの店も閉まっていて長岡の町がどれくらい栄えているのかはよくわからない。
長岡にトー横みたいなとこがあった!

有末が朝ごはんを食べようというので長岡駅構内のパン屋へ行ってモーニングを食べることにした。図らずとも同じクロックムッシュを二人は注文して仲良く食べた。この旅では幾度かこうやって同じものを注文することがあった。(食に関しては)案外気の合う二人なのかもしれない。

駅のコンビニにあった、買わなかった

モーニングを食べ終えザックを背負った二人は長岡の町へ歩き出した。

長岡市民の足と有末の足

ところで私たちは肝心の船を持たずに長岡に来ていた。なら船はどうしたのかというと、
遡ること5日前4/26に大阪大学の近くのヤマト運輸の営業所から長岡東蔵王営業所へ送っていたのでした。

そして営業所止め、現地受け取りにしていた船を営業開始時刻8時ちょうどに受け取り信濃川へ向かった。20kg弱あるこんな船を約8000円で運んでくれるヤマト運輸はありがたいものである。
これからもこのシステムで旅をする際は利用させてもらおう。

花火大会が有名な長岡だからだろうか

そんな重い船を有末君は頑張って信濃川の河川敷まで運んでくれました。20分ぐらいの距離だけど大阪から長岡までよりも長く感じる気がしたね。ありがとう有末君

有末は船、今岡は二人の荷物担当

信濃川までついたら、漕ぎ出すのにちょうどいいところを探し出し、船を組み立てる。
やっと信濃川!

組み立てにもなれたね!

そうして5/1の10時ごろ、ようやく二人はわれらが艦艇アルフェック・ボイジャーで信濃川に漕ぎ出していくのであった。

次回 エピソード2、ダウンリバースタート!に続く

ぷかぷかでうきうきな有末(蔵王橋のたもと)

北アルプス主脈全山縦走(撤退)

 こんにちは。探検部63期のヨホホです。


つい先日(2024/8/18~25)に北アルプスの全縦に行ってきました。

あくまで個人の活動であり、探検部とはなんの関係もありませんが、記録を残しておきたいと思って書きました。
よければ、読んでいってください。
持って行った装備や食料、Yamapの記録などは末尾に記載してあります。

それでは、どうぞ


1日目(8/18)
全縦の始まり(?)の日。
この日まで僕は1週間ほど沖縄旅行に行っていまして、帰って来るのが16時過ぎの予定でした。
そこから青春18きっぷを使って長野県は松本駅まで行く予定でしたが、その終電がなんと16時半。
この時点で、相当にタイトなスケジュールでした(しかもテント場の予約や荷詰めも終わっていなかった)。
さて、このスケジュールを僕はこなせたのかというと、お察しの通りこなせませんでした。
理由なんですが、まず飛行機の遅延で一発アウト。
どうやっても松本駅までは行けないことが判明します。
そこで、松本駅の一つ手前の大きい駅である中津川まで行き、翌日朝早くに松本駅に向かうことに。
中津川までなら終電も20時頃なので、落ち着いて準備をして向かいました。

途中の恵那駅でアルプスを感じた。

中津川についたら、駅周辺の空き地で野宿をして明日に備えます。
コンビニで最後の晩餐である親子丼を食べ就寝。
※余談ですが、中津川についた時点では0時半であり、青春18きっぷは0時までのため追加で2,000円取られました...。


2日目(8/19)
全縦の始まりの日。
6時3分の電車に乗って松本駅に向かいます。
ですが、起きた時間は5時半。
急いで準備をし、ダッシュで駅に向かい、ドアが閉まっていた電車に無理矢理接近することでドアを開けてもらいました。
これを逃すと2時間ほど行程が遅れるので本当に危なかったです。
松本駅に着き、次に目指すのは新島々駅。
アルピコ交通という独自の路線を使用するためSUICAなどは使えません。
このシステムに戸惑い、僕は電車を1本逃しました。
そしてしばらくしてやってきた次の電車に乗り込み、新島々駅へ。
駅に着いたら、次はバスに乗り「中ノ湯バス停」に向かい、新中ノ湯登山口から焼岳を目指します。
駅からバス停までは約30km、料金は4,000円ほどです。
実は、最初はこの30kmを1日かけて歩いてから入山しようと思っていました。
でもバスから眺めると、歩道もなく、見通しも悪く、おまけに店も自販機すらもなく、とても歩けるような道ではなかったです。
歩かなくて良かった~。
閑話休題。
バス停で降りると時刻は10時を過ぎており、色々な方面から怒られそうな時刻です。
ですがどうしようもないということで登山開始。
今回計画しているルートは次のようなものでした。

焼岳~西穂~奥穂~槍~双六~薬師~雲ノ平~立山~剱ピストン→バス→扇沢バス停~唐松五竜~白馬~朝日~親不知

全体で歩く距離は約140km以上、15,000m以上のアップ、ダウンがあるルートであり、それを1人で、14日間で縦走する予定です。
ちなみにそれに加え、僕は今回の縦走に「小屋禁止」及び「水以外の補給禁止」という縛りを課していました。
そのため、最初のザックの重さは水、ポール含め23kgにもなっていました。

さて、この日(8/19)ですが新中ノ湯登山口から入山し、焼岳を通り西穂山荘のテント場で行動を終える予定です。
計画では16時過ぎに着くかな、といったところ。
10時という遅い入山ですが、焦らず着実に登っていきます。
しかし、ザックが重い!
この日はまだザックの重さに慣れておらず、非常に苦しかったです。
歩き方や背負い方、ペースなどを色々試していました。

遠くに見えるのが、焼岳。

焼岳山頂。

そして、計画より時間は遅くなりつつも焼岳登頂。
記念すべき第1座目です。
実は僕はアルプス2度目であったため、少し感動しました。
しかし感動に浸っている間もなくある事実に気が付きました。
僕は歩いているうちに自分のペースと『山と高原地図』の参考タイ厶が全く同じであることがわかったのですが、それによると西穂山荘まではあと5時間かかります。
ですが、僕が焼岳に着いたのは14時半。
このままコースタイム通りに行けても19時半になってしまううえ、ザックの重さもあって本当に同じペースで行けるかはわかりませんでした。
そこで、僕はしばらく悩みましたが焼岳山頂付近の鞍部でビバークすることにしました。
山頂から1時間ほどの距離に焼岳小屋もあったのですが、予約していないし縛りを破ることになるのでやめておきました。
16時頃になり、登山者は来ないだろうと思ったのでビバークの準備をします。
ビバークと言ってもなにも野宿をするわけではありません。
普通にテントを張り、そこで寝ます。

ビバークの様子。

ただ僕は初めてのテント泊だったので、少し不安でした。
一応組み立てる練習はしましたが、テント自体も新品で初使用という有様。
ですが焦らず怯えず自分の判断を信じて組み立てていきます。
そしておもしを乗せて設営完了!
初めてにしては出来は上々でした。
中に入り、荷物と自分のポジションを決めます。
このときはまだ初めてで、色々試行錯誤していました。
そんなこんなで17時頃、どうやら人が来たようでにわかに騒がしくなりました。
僕は
「こんなところでテント張ってるんじゃない!!」
と怒られるのが怖かったのでテントの中で戦線恐々としていました。
※焼岳は活火山であるため、地震の影響で入山規制がされています。
※さらに言うと、指定地以外でテントを張ってはいけません。
ちなみにその方たちは、去る際に
「お邪魔しました~」
と言っていました。
いい人たちでした。
そして初めての夜。
鞍部といっても山頂に近く、稜線上であるため非常に雨風が強かったです。
僕はテントを立てるときペグを打たない派なので、飛ばされるかとずっと心配して全然寝付けませんでした。
雨と強風は、深夜になっても止むことはありませんでした。

3日目(8/20)
朝目が覚めると、雨が止んでいました。
時刻は3時過ぎ。
日の出は5時過ぎなので太陽は出ていませんが満月が顔を出しており、月光がテント内をも薄ぼんやりと照らしていました。
もう活動できるのでしょうか。
僕は外の様子を確認するために外に半身を乗り出してみました。
その時に目に焼き付いた光景は今でもよく覚えています。
目を凝らせば細部まで認識できるほどの闇の中に広がっていたのは全てがモノクロームの世界。
山も、草木も、自分でさえも、色がついている部分全てを灰色で塗りつぶしてしまったようでした。
少し遠くを見れば、焼岳が黒の背景の中に濃灰色に彩られた姿で佇んでいます。
その姿が、本当に荘厳で、雄々しくて。
僕は少しの間、その姿から目を離せずにいましたが雨が再び降ってきたためテント内に戻りました。
そして時刻は6時頃。
雨が再び止んだため活動開始。
今日のうちに西穂~奥穂間を越えるのは無理なため西穂山荘を目指します。
そのため活動時間は5時間という短時間。
まず1時間かけて焼岳を降り、焼岳小屋までいきます。
一晩を過ごした焼岳に別れを告げ、急なガレた斜面を下っていきます。
すると、驚くべきことに人の姿が!!!!
焼岳小屋からやってくるならまだ分かります。
ですが、その老人は僕と同じ方向に進んでいたのです!!
これはとても信じられないことでした。
僕は17時頃に誰もいなくなった後、近くにテントなどないか、誰もいないか確認していました。
その結果、当たり前ですが誰もいませんでした。
それなのに、目の前に人がいる。
あの偏屈そうな老人はテントも張らずにビバークしたのでしょうか。
追い抜いたときに挨拶をしましたが、やはり偏屈そうな声でかすかに返事があっただけでした。
山に魔物が棲むといった伝説は古来より多く語り継がれてきていますが、僕はその伝説の一端を目撃したのかもしれません。
さて気を取り直して焼岳小屋を過ぎ、いよいよ西穂山荘へと向かいます。
ですが、ここから急に道が悪くなります。
北アルプスとは思えない樹林帯。
雨上がりのぬかるんだ泥土。
道の上にまで覆いかぶさる笹。
少したりとも吹かぬ風。
道の好みは多々あり蓼食う虫も好き好きとは承知しているものの、あの道を歩きたいと思う人はいないのではないかという道でした。
そんな道を4時間ほど歩き、11時前に西穂山荘に到着。
実は僕は泊まりの縦走はほぼ初めてであるため、山荘で受付をするという事実に少し緊張しつつカウンターに向かいます。
そしてテント場の受付をし、行き先、来た道を伝えると早速指摘が入りました。
曰く、ジャンダルムは経験者同行でないと難しいと。
曰く、ソロで、縦走の荷物で行けるのかと。
曰く、悲惨な事故は毎年起きていると。
曰く、エスケープルートは地震の影響で崩落しているため使えないと。
さんざ言われましたが、危ないときに引き返す覚悟はきちんと育てていたため全て大丈夫だと答えテント場へ。
明日はジャンダルムを踏破しなければならないため、水を多めに仕入れ、長旅に備えます。
テント場はでは関西弁のカップルが言い争いをしながらテントを立てていました。
山に来てまで喧嘩をするなと思いましたが、本人たちにとっては日常のようで、言い争いにもどこか慣れを感じます。
喧嘩するほど仲が良いというやつなのかもしれません。
そうして色々な人の会話を耳にしながら、僕はゆっくりと眠りに落ちていきました。

4日目(8/21)
早朝3時。
ジャンダルムを越えるには非常に長い時間が必要になるため、早めに出発します。
やっと慣れてきたテントの撤収を月明かりの下でこなします。
荷物の整理にも、テントの片付けにもヘッドライトは使いません。
2日目で急いで電車に乗ったと書きましたが、その前にコンビニで買う予定だった予備電池を僕は買い忘れていました。
そのためヘッドライトの電池がいつ切れるかわからず、無駄に使用するわけにはいかなかったのです。
暗闇といっても、輪郭と手触りで大体は分かるため特に手こずることなく準備を済ませて出発したのは4時過ぎ。
いよいよ全縦最初の関門であるジャンダルムに向かっていきます。
この旅で通る難所は主に4つ。
1.ジャンダルム
2.大キレット
3.剱岳
4.不帰ノ嶮
の4つです。
そのうちで最も難しいと思われるのが今から越えるジャンダルムになります。
一般登山道において最も難しいのは大キレットだと思いますが、ジャンダルムだけは一般登山道ではないという扱いになっています。
つまり、ここを越えられずに全縦が終わってしまうという可能性も存在するわけで、僕は笑みが抑えきれませんでした。
そんなに難しい場所に挑めるという高揚感と、1人だけでその全てを味わえるという征服感はたまらなく心地よいものです。
ジャンダルム含む周辺の山(西穂高岳、赤岩岳、間ノ岳)は一般登山道ではありませんが、その手前の西穂独標までは一般登山道であるため、わくわくしながら進んでいきます。
そして簡単な岩稜帯を越えて西穂独標に6時にたどり着きました。


~続く~

長すぎるので、ちょくちょく書きに来ます。
更新は不定期。