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2025年6月24日火曜日

北アルプス主脈全山縦走(撤退)

 こんにちは。探検部63期のヨホホです。


つい先日(2024/8/18~25)に北アルプスの全縦に行ってきました。

あくまで個人の活動であり、探検部とはなんの関係もありませんが、記録を残しておきたいと思って書きました。
よければ、読んでいってください。
持って行った装備や食料、Yamapの記録などは末尾に記載してあります。

それでは、どうぞ


1日目(8/18)
全縦の始まり(?)の日。
この日まで僕は1週間ほど沖縄旅行に行っていまして、帰って来るのが16時過ぎの予定でした。
そこから青春18きっぷを使って長野県は松本駅まで行く予定でしたが、その終電がなんと16時半。
この時点で、相当にタイトなスケジュールでした(しかもテント場の予約や荷詰めも終わっていなかった)。
さて、このスケジュールを僕はこなせたのかというと、お察しの通りこなせませんでした。
理由なんですが、まず飛行機の遅延で一発アウト。
どうやっても松本駅までは行けないことが判明します。
そこで、松本駅の一つ手前の大きい駅である中津川まで行き、翌日朝早くに松本駅に向かうことに。
中津川までなら終電も20時頃なので、落ち着いて準備をして向かいました。

途中の恵那駅でアルプスを感じた。

中津川についたら、駅周辺の空き地で野宿をして明日に備えます。
コンビニで最後の晩餐である親子丼を食べ就寝。
※余談ですが、中津川についた時点では0時半であり、青春18きっぷは0時までのため追加で2,000円取られました...。


2日目(8/19)
全縦の始まりの日。
6時3分の電車に乗って松本駅に向かいます。
ですが、起きた時間は5時半。
急いで準備をし、ダッシュで駅に向かい、ドアが閉まっていた電車に無理矢理接近することでドアを開けてもらいました。
これを逃すと2時間ほど行程が遅れるので本当に危なかったです。
松本駅に着き、次に目指すのは新島々駅。
アルピコ交通という独自の路線を使用するためSUICAなどは使えません。
このシステムに戸惑い、僕は電車を1本逃しました。
そしてしばらくしてやってきた次の電車に乗り込み、新島々駅へ。
駅に着いたら、次はバスに乗り「中ノ湯バス停」に向かい、新中ノ湯登山口から焼岳を目指します。
駅からバス停までは約30km、料金は4,000円ほどです。
実は、最初はこの30kmを1日かけて歩いてから入山しようと思っていました。
でもバスから眺めると、歩道もなく、見通しも悪く、おまけに店も自販機すらもなく、とても歩けるような道ではなかったです。
歩かなくて良かった~。
閑話休題。
バス停で降りると時刻は10時を過ぎており、色々な方面から怒られそうな時刻です。
ですがどうしようもないということで登山開始。
今回計画しているルートは次のようなものでした。

焼岳~西穂~奥穂~槍~双六~薬師~雲ノ平~立山~剱ピストン→バス→扇沢バス停~唐松五竜~白馬~朝日~親不知

全体で歩く距離は約140km以上、15,000m以上のアップ、ダウンがあるルートであり、それを1人で、14日間で縦走する予定です。
ちなみにそれに加え、僕は今回の縦走に「小屋禁止」及び「水以外の補給禁止」という縛りを課していました。
そのため、最初のザックの重さは水、ポール含め23kgにもなっていました。

さて、この日(8/19)ですが新中ノ湯登山口から入山し、焼岳を通り西穂山荘のテント場で行動を終える予定です。
計画では16時過ぎに着くかな、といったところ。
10時という遅い入山ですが、焦らず着実に登っていきます。
しかし、ザックが重い!
この日はまだザックの重さに慣れておらず、非常に苦しかったです。
歩き方や背負い方、ペースなどを色々試していました。

遠くに見えるのが、焼岳。

焼岳山頂。

そして、計画より時間は遅くなりつつも焼岳登頂。
記念すべき第1座目です。
実は僕はアルプス2度目であったため、少し感動しました。
しかし感動に浸っている間もなくある事実に気が付きました。
僕は歩いているうちに自分のペースと『山と高原地図』の参考タイ厶が全く同じであることがわかったのですが、それによると西穂山荘まではあと5時間かかります。
ですが、僕が焼岳に着いたのは14時半。
このままコースタイム通りに行けても19時半になってしまううえ、ザックの重さもあって本当に同じペースで行けるかはわかりませんでした。
そこで、僕はしばらく悩みましたが焼岳山頂付近の鞍部でビバークすることにしました。
山頂から1時間ほどの距離に焼岳小屋もあったのですが、予約していないし縛りを破ることになるのでやめておきました。
16時頃になり、登山者は来ないだろうと思ったのでビバークの準備をします。
ビバークと言ってもなにも野宿をするわけではありません。
普通にテントを張り、そこで寝ます。

ビバークの様子。

ただ僕は初めてのテント泊だったので、少し不安でした。
一応組み立てる練習はしましたが、テント自体も新品で初使用という有様。
ですが焦らず怯えず自分の判断を信じて組み立てていきます。
そしておもしを乗せて設営完了!
初めてにしては出来は上々でした。
中に入り、荷物と自分のポジションを決めます。
このときはまだ初めてで、色々試行錯誤していました。
そんなこんなで17時頃、どうやら人が来たようでにわかに騒がしくなりました。
僕は
「こんなところでテント張ってるんじゃない!!」
と怒られるのが怖かったのでテントの中で戦線恐々としていました。
※焼岳は活火山であるため、地震の影響で入山規制がされています。
※さらに言うと、指定地以外でテントを張ってはいけません。
ちなみにその方たちは、去る際に
「お邪魔しました~」
と言っていました。
いい人たちでした。
そして初めての夜。
鞍部といっても山頂に近く、稜線上であるため非常に雨風が強かったです。
僕はテントを立てるときペグを打たない派なので、飛ばされるかとずっと心配して全然寝付けませんでした。
雨と強風は、深夜になっても止むことはありませんでした。

3日目(8/20)
朝目が覚めると、雨が止んでいました。
時刻は3時過ぎ。
日の出は5時過ぎなので太陽は出ていませんが満月が顔を出しており、月光がテント内をも薄ぼんやりと照らしていました。
もう活動できるのでしょうか。
僕は外の様子を確認するために外に半身を乗り出してみました。
その時に目に焼き付いた光景は今でもよく覚えています。
目を凝らせば細部まで認識できるほどの闇の中に広がっていたのは全てがモノクローム世界。
山も、草木も、自分でさえも、色がついている部分全てを灰色で塗りつぶしてしまったようでした。
少し遠くを見れば、焼岳が黒の背景の中に濃灰色に彩られて姿で佇んでいます。
その姿が、本当に荘厳で、雄々しくて。
僕は少しの間、その姿から目を離せずにいましたが雨が再び降ってきたためテント内に戻りました。
そして時刻は6時頃。
雨が再び止んだため活動開始。
今日のうちに西穂~奥穂間を越えるのは無理なため西穂山荘を目指します。
そのため活動時間は5時間という短時間。
まず1時間かけて焼岳を降り、焼岳小屋までいきます。
一晩を過ごした焼岳に別れを告げ、急なガレた斜面を下っていきます。
すると、驚くべきことに人の姿が!!!!
焼岳小屋からやってくるならまだ分かります。
ですが、その老人は僕と同じ方向に進んでいたのです!!
これはとても信じられないことでした。
僕は17時頃に誰もいなくなった後、近くにテントなどないか、誰もいないか確認していました。
その結果、当たり前ですが誰もいませんでした。
それなのに、目の前に人がいる。
あの偏屈そうな老人はテントも張らずにビバークしたのでしょうか。
追い抜いたときに挨拶をしましたが、やはり偏屈そうな声でかすかに返事があっただけでした。
山に魔物が棲むといった伝説は古来より多く語り継がれてきていますが、僕はその伝説の一端を目撃したのかもしれません。
さて気を取り直して焼岳小屋を過ぎ、いよいよ西穂山荘へと向かいます。
ですが、ここから急に道が悪くなります。
北アルプスとは思えない樹林帯。
雨上がりのぬかるんだ泥土。
道の上にまで覆いかぶさる笹。
少したりとも吹かぬ風。
道の好みは多々あり蓼食う虫も好き好きとは承知しているものの、あの道を歩きたいと思う人はいないのではないかという道でした。
そんな道を4時間ほど歩き、11時前に西穂山荘に到着。
実は僕は泊まりの縦走はほぼ初めてであるため、山荘で受付をするという事実に少し緊張しつつカウンターに向かいます。
そしてテント場の受付をし、行き先、来た道を伝えると早速指摘が入りました。
曰く、ジャンダルムは経験者同行でないと難しいと。
曰く、ソロで、縦走の荷物で行けるのかと。
曰く、悲惨な事故は毎年起きていると。
曰く、エスケープルートは地震の影響で崩落しているため使えないと。
さんざ言われましたが、危ないときに引き返す覚悟はきちんと育てていたため全て大丈夫だと答えテント場へ。
明日はジャンダルムを踏破しなければならないため、水を多めに仕入れ、長旅に備えます。
テント場はでは関西弁のカップルが言い争いをしながらテントを立てていました。
山に来てまで喧嘩をするなと思いましたが、本人たちにとっては日常のようで、言い争いにもどこか慣れを感じます。
喧嘩するほど仲が良いというやつなのかもしれません。
そうして色々な人の会話を耳にしながら、僕はゆっくりと眠りに落ちていきました。

4日目(8/21)
早朝3時。
ジャンダルムを越えるには非常に長い時間が必要になるため、早めに出発します。
やっと慣れてきたテントの撤収を月明かりの下でこなします。
荷物の整理にも、テントの片付けにもヘッドライトは使いません。
2日目で急いで電車に乗ったと書きましたが、その前にコンビニで買う予定だった予備電池を僕は買い忘れていました。
そのためヘッドライトの電池がいつ切れるかわからず、無駄に使用するわけにはいかなかったのです。
暗闇といっても、輪郭と手触りで大体は分かるため特に手こずることなく準備を済ませて出発したのは4時過ぎ。
いよいよ全縦最初の関門であるジャンダルムに向かっていきます。
この旅で通る難所は主に4つ。
1.ジャンダルム
2.大キレット
3.剱岳
4.不帰ノ嶮
の4つです。
そのうちで最も難しいと思われるのが今から越えるジャンダルムになります。
一般登山道において最も難しいのは大キレットだと思いますが、ジャンダルムだけは一般登山道ではないという扱いになっています。
つまり、ここを越えられずに全縦が終わってしまうという可能性も存在するわけで、僕は笑みが抑えきれませんでした。
そんなに難しい場所に挑めるという高揚感と、1人だけでその全てを味わえるという征服感はたまらなく心地よいものです。
ジャンダルム含む周辺の山(西穂高岳、赤岩岳、間ノ岳)は一般登山道ではありませんが、その手前の西穂独標までは一般登山道であるため、わくわくしながら進んでいきます。
そして簡単な岩稜帯を越えて西穂独標に6時にたどり着きました。


~続く~

長すぎるので、ちょくちょく書きに来ます。
更新は不定期。





2025年6月19日木曜日

OUEC読書会

 探検部は、自然の中で多く活動します。自然の中でも、心の根底に懐かしく埋まっているような自然こそが、最も探検にふさわしいと思います。 すなわち、雲を眺めているときのような気分の発見が、探検するということです。

 そのような探検活動の1つとして、ろうそくを囲んで読書することにしました。人の手によるろうそくですが、火が揺れること、それが自分を照らすこと、そして近づくと暖かいことは、全く自然で、しかもそれの持つノスタルジックな性質は、心へ目を向けさせます。本も郷愁を感じさせるという点で探検的です。





2025年6月1日日曜日

日本最長!信濃川ダウンリバー エピソード0 前日譚

 こんにちは63期部長の今岡です。今年のゴールデンウィークは副部長の有末と一緒に信濃川を下ってきました。さすがに信濃川全部は無理なので長岡から新潟港までの約80km、船をこいだのは3日間。ゆったりとした川の流れで心が落ち着くと同時にパドルを漕ぐための肩回りの筋肉がパンパンでした。

折角しんどかったのでブログとしてまとめておきます。

いきなりですが前日譚です。

0.旅の始まりは思いつき
サークルオリエンテーションの探検部ブースの様子

2025年4月5日、大阪大学のサークルが新入生を勧誘するイベント、サークルオリエンテーションにて探検部ブースで部長:今岡、副部長:有末、主務:尾原の3人は同じ時間の担当をしていました。

新入生が少ない暇な時間、3人で喋っていたら話題はゴールデンウィーク(阪大では学祭のいちょう祭が開催される)の5連休に何をするか?というものに。

一般的なサークルにとって、いちょう祭では模擬店を出して部費を稼いだりみんなでいちょう祭を楽しむのが普通ですが探検部員は違います。探検部では5連休もあればどこにいってどんな活動をしようか?つまり阪大、なんなら大阪には留まらず、折角連休なんだからまとまった休みでないといけないところに行きたい!と考えます。
そうやって去年は僕自身5日間の縦走に行きましたし、屋久島に行っているメンバーたちもいましたし、なんなら今年ももう僕たち3人以外は何をするか決まっている部員が大勢いました。
3人は焦っていたんです。何かやりたいけど、中途半端なことはいやだ。折角なら大きいことをしたい、でも何をやればいいんだ?と、そんなことを考えているとゴールデンウィークまで残り1か月を切っていました。

サークルオリエンテーションでは探検部のブースを目立たせるため折り畳み式のカヤックを飾っていました。(上の写真を参照)

それをみて何となく今岡は”この船でどこかいけないかなー”とぼんやり考えて
”せっかくなら数日かけて川を下るのも面白そうだ。”
”キャンプしながらゆったりと川を下るならそんなにしんどくないか”
”どうせ行くならでかい川がいい”
”じゃあもう日本一長い川とか行ってみるか” 
”日本一長い川は信濃川だな”
というようなことをわずか10秒程度で考えて
「信濃川カヤックでくだろうや」と、発言。
するとカヤック未経験の副部長有末は以外にも好感触。思いつきで言ったことが相手の意思を自分の意志より速いペースで固まらせるのは焦ります。自分の意思も固まってないのに相手がその気になったらもう行くしかないからだ。

主務尾原(左)副部長有末(右)

一方カヤック経験あり(なんなら淀川を今岡と二人で下った)主務尾原はなんだか渋そう。理由を聞いてみると言いづらい雰囲気で言うには、
「金がない、ゴールデンウィークは課題をしたい」
なんてこった、仮にも探検部において極めて重要な役職”主務”についておきながらゴールデンウィークを大阪から出ずに過ごそうだなんて。今岡と有末は激怒した。この朽木糞牆 
の主務尾原をこの企画に参加させなければならぬと。
部長と副部長は猛烈な抗議と説得を試みる。しかし弁舌虚しく尾原の意思は固かった。

それから2週間弱、企画書作成の段階まで誘い続けたが結局彼が参加することはなく、今回は部長今岡と副部長有末の二人で行くこととなったのでありました。

信濃川をともに下る部長の今岡(手前)副部長の有末(奥)

次回、エピソード0.5準備編に続きます。




雨の蓬莱山、確定新歓

(今回は雨で悔しかったこの思いを表現するため関西弁でブログ書いてみます。)