(インドネシア人の彼氏ができる気配はないどころか最近男を信用できない)
瀬野加奈子空軍中将
二日目
天候くもり。眺望よし!
雲の位置が高いからなのだろうか。
青空は一切見えないにもかかわらず、はるか遠く槍の穂先が天を射る姿を確認することができるほど、見通しだけは良かった。槍ヶ岳は我々の最終目的地。少しばかり気が遠のいた。
これ以降、四日後まで槍を望むことはない |
愛すべき豚(骨拉麺) |
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いや、天気悪いねんから仕方ないやん。我々は先輩方に倣い、薬師峠までの平均歩行時間十一時間をこなす戦意を失っていた。それに日程に余裕もある。焦りは禁物だ。
前日の宣戦布告は何処へ。
「ゆっくり走られ~」
出発の遅い我々五色ヶ原山荘の親父が声をかけてくれた。(※縦走の意である)
ここから薬師峠までは逃避経路は無し。先頭を任され順調に歩く。
右奥が薬師岳。なぜか眺望だけは良い |
鳶山、越中沢岳と二つの頂を越えたところで、奴が姿を現した。
奴の名は。
""""""""""スゴのヘッド""""""""""
お分かりいただけるだろうか。ま、シンプルに急登やねんけども。
この傾斜に加え、雪渓に阻まれた登山道、しかも踏み跡はない状況で経路探査に苦戦を強いられる。少しばかりとて油断しようものなら滑落待ったなし。
私は意気を失った。
私に限らず皆辛そうであった。なんせ荷物が重い。
スゴヘッドを突破し、あとは小屋まで最後の登りといったところで、陸軍元帥がシャリバテ休憩を要求。残りの三人は休憩もそこそこに、お湯を沸かし始めた彼を横目に先に進む。が、すぐに追いつかれた。
とうとう雨が降り始めた。やまない雨だ。
昼過ぎにはスゴ乗越小屋に到着。タルチョたなびき、カレーとチャイを提供する印度風の小屋。
幸いなことに?他の宿泊客はおらず、小屋前の雨宿り場を占拠。
なにしろ雨。天幕を設営する気にもなれず、ただただ時間だけが流れていった。寒さ故に海軍元帥特製の林檎紅茶やら衛生兵持参のココアやらで暖をとる、とともにしっかり水分補給。(ここ大事)
陸軍元帥はわけわからん包丁でマシュマロを焼いていた。
熊襲来時の護身用 |
しばらくすると、雨が降ろうとも明るかった視界すら暗くなってきた。見渡す限りガス。絶望。
ただ、唯一の救いは食事。今回の山行における象徴的存在である。我々には人参じゃがいも玉ねぎがある。ベーコンがある。米も炊ける。
ウヰスキーもある |
シチューができた |
腹一杯、雨降る天幕へ。
三日目
昨晩中雨音がしていたが、起床時には雨が上がっていた。
周辺は未だ雪渓が多く残り、間岳手前では唯一軽鉄かんじきを使用。
北薬師岳を経て、ついに薬師岳山頂へ。
硫黄島風 |
北アルプス一美しい山容を持つと言われる薬師岳。ここまでの道のりは長かった。祠の石壁を風除けにして少し休憩したのち、避難小屋で餅を食すことを楽しみに下り始める。
ちなみに立山以降ほとんど人とすれ違うことがなかったが、薬師岳以降は連休が近くなったこともあり人が増えた。
ザレザレの道を滑り下っていると、気付かぬうちにガスを抜け出していた。なんや稜線見えるんやん。しかも立派な小屋が見えてきたで!
こんな曇天でテンション爆上げ |
もちろんこれは避難小屋ではない。立派な薬師岳山荘。避難小屋は通り過ぎたものの、それが小屋であるとは認識できず後にした程度なので信頼すべからず。
この日最後は薬師峠までの下り。
沢沿いの道で涼しいはずが、標高を下げたことによる暑さが勝った。
この日も昼過ぎには天幕場到着。加えて晴天であった。
ハイマツ側のグッドポジションを獲得し、ひとまずチェアリング。敷物広げて昼寝。水浴び。餅。束の間の至福を謳歌した。
この散らかしよう |
異常な個人装備食糧 |
ウヰスキー飲んでませんから |